「パンクの女王」と称されるパティ・スミス。
その名前は知っていても、パティスミスの代表曲と聞かれて「有名な曲は?」と迷ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。
確かに彼女は70年代ニューヨーク・パンクの先駆者ですが、その呼称だけでは彼女の芸術性のすべてを捉えることはできません。
彼女の本質は、ロックンロールの衝動と文学的な詩の世界を融合させた、唯一無二のアーティストである点にあります。
衝撃的なデビューを飾った「Gloria In Excelsis Deo Gloria」は、ロックのスタンダードナンバーを独自の詩で再構築した革命的な一曲です。
また、最大のヒット曲である「ビコーズ ザ ナイト」では、ポップミュージックの領域でも通用する普遍的な魅力を証明しました。
そして、今なお世界中で歌い継がれる「People Have the Power」は、彼女の社会的なメッセージと希望の象徴となっています。
これらの楽曲は、ロック史に輝く名盤に収録されており、若い頃から培われた詩人としての感性や、彼女独自の哲学が色濃く反映されたものです。
「Free Money」のような初期の生々しい渇望から、性別の枠を超えたファッションセンス、そして来日公演で見せる圧巻のパフォーマンスに至るまで、パティ・スミスの魅力は多岐にわたります。
この記事では、彼女のキャリアを代表する必聴の名曲群と、その背景にあるアーティストとしての奥深い歩みをご紹介します。
この記事でわかること
- パティ・スミスのキャリアを代表する必聴の名曲
- 各楽曲が収録された重要なアルバム(名盤)
- 「パンクの女王」と呼ばれる以前の詩人としての活動
- 彼女の音楽と芸術性に影響を与えた背景
1. パティスミスの代表曲(必聴曲)
1-1. 有名な曲は?まず聴くべき曲
パティ・スミスを初めて聴く方が「有名な曲は?」と探す場合、まずは彼女のキャリアを画する70年代の革新的な楽曲と、80年代以降の社会的なアンセムの両方に触れるのが最適です。
なぜなら、彼女の代表曲は、キャリアの二つの大きな時期を象徴しているからです。
一つは、初期の「パンクの女王」としての爆発的なエネルギーに満ちた時期。
もう一つは、結婚・出産による活動休止を経て復帰した後の、「世界的な表現者」としての深い思索に満ちた時期です。
例えば、初期を代表するのが衝撃的なデビュー曲「Gloria」や、最大のヒット曲「Because the Night」。そして復帰後を象徴するのが、今や世界的なアンセムとなった「People Have the Power」です。
この第1章では、これらキャリアを代表する楽曲をピックアップしました。
続く各項目(1-2から1-5)で、それぞれの曲が持つ意味や制作の背景を具体的に掘り下げていきます。彼女の芸術的な歩みを掴むためのガイドとしてご覧ください。
1-2. 「Gloria In Excelsis Deo Gloria」とは
「Gloria (In Excelsis Deo / Gloria)」は、1975年にリリースされたデビューアルバム『Horses』のオープニングを飾る、パティ・スミスのアーティストとしての所信表明とも言える一曲です。
この曲は、単なるカバー曲ではなく、彼女自身のオリジナルな詩「In Excelsis Deo」と、60年代にヴァン・モリソンが在籍したバンド、ゼム(Them)のガレージロック・スタンダードナンバー「Gloria」を大胆に融合させた作品となっています。
楽曲は、リチャード・ソールの静謐なピアノの旋律に乗せた、「イエスは誰かの罪のために死んだけど、わたしのせいじゃない (Jesus died for somebody’s sins, but not mine)」という、非常に挑発的で有名な一節から始まります。
これは、彼女が幼少期に受けた厳格な宗教教育(エホバの証人)への反発であると同時に、既存の価値観や権威に対する根本的な異議申し立てです。
当時のロックシーンにおいても、これほど明確に宗教的規範へ挑戦する歌詞は衝撃的でした。
彼女の独白的な詩の朗読(ポエトリー・リーディング)から、徐々にバンドの演奏が熱を帯び、やがてゼムの「Gloria」の有名なリフへと雪崩れ込んでいく展開は圧巻です。
従来のロックの常識を覆すこの曲は、パンク・ロックの誕生を告げる号砲であり、同時に詩とロックが融合した「アート・パンク」の金字塔として、今なお不朽の名曲とされています。
『Horses』のジャケット:イメージの革命

アルバム『Horses』のジャケット写真も、楽曲と同様に非常に有名です。
これは当時の恋人であり、後に世界的な写真家となるロバート・メイプルソープによって撮影されました。
白いシャツに黒いネクタイ、無造作なヘアでこちらを真っ直ぐに見据える姿は、性別を超えた力強さと知性を感じさせます。
当時の女性アーティストにありがちだった「性的対象」としてのイメージを完全に拒否し、アーティストとしての内面的な強さを表現したこのポートレートは、音楽史におけるイメージの革命とも言えるでしょう。

1-3.初期の名曲 「Redondo Beach」
「Redondo Beach(レドンド・ビーチ)」は、タイトル「5選」を構成する上で欠かせない、デビューアルバム『Horses』収録の名曲です。
この曲は、「Gloria」や「Free Money」の持つ激しいロックの衝動とは異なり、軽快なレゲエのリズムを採用しているのが最大の特徴です。
この一見ポップで聴きやすい曲調とは裏腹に、歌詞は非常にダークで示唆に富んでいます。
内容は、女性同士の口論の後、一人が海辺(レドンド・ビーチ)で入水自殺を遂げてしまうというものです。
この曲は、パティがバンドを結成する以前、妹のリンダと口論した後に書いた詩が元になっています。
ライブのステージで彼女が「レドンドビーチは女性が他の女性を愛するビーチです」と紹介していたこともあり、当時の社会ではタブー視されがちだった同性愛的な悲劇を歌ったものとして広く解釈されています。
パンク・ムーブメントが勃興する以前から、音楽的なジャンル(レゲエの導入)と社会的なタブーの両方において、彼女がいかに先進的であったかを示す重要な一曲です。
1-4. ヒット曲「ビコーズ ザ ナイト」
「Because the Night(ビコーズ ザ ナイト)」は、1978年にリリースされた3rdアルバム『Easter』からのリードシングルであり、彼女のキャリアにおいて商業的に最大の成功を収めた楽曲です。
この曲は、米国のビルボード・ホット100チャートで最高13位、全英シングルチャートでも5位を記録し、パティ・スミスの名前を世界中のロックファンに知らしめました。
この曲の誕生秘話は非常に有名です。
元々は「ロック界のボス」ことブルース・スプリングスティーンが、自身のアルバム『闇に吠える街 (Darkness on the Edge of Town)』のセッション中に制作していたものの、完成に至らなかったデモトラックでした。
当時、スプリングスティーンと同じスタジオで『Easter』をレコーディングしていたパティ・スミスに対し、プロデューサーのジミー・アイオヴァインがこの曲を提案します。
スプリングスティーンの情熱的なメロディに感銘を受けたスミスは、当時遠距離恋愛中だった後の夫、フレッド・”ソニック”・スミスを想いながら、自身の視点で新たな歌詞を書き加えました。
結果として、スプリングスティーンの骨太なロックサウンドと、パティ・スミスの詩的で情熱的なボーカルが奇跡的な化学反応を起こし、世代やジャンルを超えて愛されるラブソングの定番となったのです。
彼女の他の楽曲と比較すると際立ってポップで聴きやすいメロディですが、その根底には彼女特有の切実な感情が込められています。
後年、10,000マニアックスやU2など、数多くのアーティストによってカバーされていることからも、この曲が持つ普遍的な力が証明されています。
1-5. 「Free Money」の衝撃
「Free Money(フリー・マネー)」は、デビューアルバム『Horses』のハイライトの一つであり、「Gloria」と並んでアルバムの持つ初期衝動と芸術的な高みを象徴する楽曲です。
この曲は、パティ・スミス本人と、バンドのギタリストであり、長年の音楽的パートナーであるレニー・ケイによって書かれました。
楽曲の構成は非常にドラマティックです。
静かなピアノのアルペジオを背景に、スミスがまるで夢見るかのように「フリー・マネー」について語り始めます。
しかし、その夢は徐々に切実な「渇望」へと変わり、彼女のボーカルもそれに伴って感情を高ぶらせていきます。
そして、バンド全体の演奏が一体となって爆発するクライマックスへと突き進んでいくのです。
この静から動への圧倒的なダイナミクスは、パティ・スミス・グループというバンドの卓越した表現力を示しています。
歌詞の世界観も強烈です。
「もしお金が天から降ってきたら」「盗んだお金であなたにジェット機を買ってあげたい」と、切迫感を持って歌い上げます。
これは、単なる空想ではなく、当時のニューヨークで貧しい生活を送りながらも大きな夢を追いかけていた彼女自身の、現実からの脱出願望を、生々しくもロマンティックに表現したものです。
彼女の初期の衝動と、詩人としての豊かなイマジネーションが完璧に融合した名曲と言えるでしょう。
1-6. アンセム「People Have the Power」
「People Have the Power(ピープル・ハヴ・ザ・パワー)」は、パティ・スミスのキャリアにおいて非常に重要な一曲です。
この曲は、1980年に結婚し、音楽シーンの第一線から退いて家庭に入った彼女が、9年間の沈黙を破って1988年に発表したアルバム『Dream of Life』からのリードシングルです。
この曲は、彼女の夫であり、デトロイトの伝説的なロックバンドMC5のギタリストであった故フレッド・”ソニック”・スミスとの共作です。
MC5が元々持っていた強力な政治的メッセージと、パティ・スミスが培ってきた詩的でヒューマニスティックな世界観が、この曲で完璧に融合しました。
「私たちには世界を変えられる力がある」「団結すれば実現できる、人々には力がある (The power to redeem the work of fools)」と、圧倒的な力強さと説得力を持って歌い上げる、強力な政治的・社会的メッセージソングです。
リリースから数十年が経過した現在でも、世界中の民主化運動や抗議デモ、環境問題への取り組みなど、人々がより良い未来のために声を上げる様々な場面で歌われる普遍的なアンセム(讃歌)となっています。
U2をはじめとする多くのアーティストもライブでカバーしており、パティ・スミスのヒューマニズムと未来への希望を象徴する、彼女のキャリア後半における最重要曲です。
『Dream of Life』の意義:母性、そして再生
『Dream of Life』は、パティがデトロイト郊外で二児の母として過ごした経験を経て生み出されたアルバムです。
それまでのアグレッシブで内省的だったパンクのイメージとは異なり、母性や生命の尊さ、そして社会全体へのより広く、温かい視点からのメッセージが込められています。
このアルバムは、彼女のアーティストとしての「再生」を告げる作品となりました。

2. パティスミスの代表曲を生んだ背景
2-1. 曲が収録された名盤
パティ・スミスの代表曲を深く理解するためには、それらが収録されたアルバム、特に彼女のキャリアの第一期を定義づける、1970年代に発表された初期の4作品に触れることが不可欠です。
これらの名盤は、それぞれが異なる音楽的アプローチを取りながらも、彼女の芸術的探求が一貫して流れています。
『Horses』(1975年)は、前述の通り、詩とロックンロールをかつてないレベルで融合させた、ロック史における画期的なデビュー作です。
プロデューサーにジョン・ケイル(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)を迎え、生々しくも知的なサウンドスケープを創り出しました。
続く『Radio Ethiopia』(1976年)は、一転してよりハードで、ノイジー、そして実験的なロックサウンドを追求しました。
10分を超える表題曲など、商業的な成功を度外視したかのようなアグレッシブな姿勢は、当時の批評家たちを戸惑わせましたが、彼女の妥協しない芸術家としての一面を示しています。
『Easter』(1978年)は、「Because the Night」の歴史的ヒットにより、商業的な成功と芸術性を最も高いレベルで両立させた作品です。
アルバム全体としても、より焦点が定まり、力強いロックアルバムとして完成されています。
そして第一期の最後を飾る『Wave』(1979年)は、プロデューサーにトッド・ラングレンを迎え、より洗練されたポップな側面も見せた作品です。
夫となるフレッド・”ソニック”・スミスへの愛を歌った「Frederick」を収録するなど、彼女が新たな人生のステージへ向かう節目となったアルバムです。
これらのアルバムは、単なるパンク・ロックの枠を超え、後世のオルタナティブ・ロックやアート・ロック、さらにはインディー・ミュージックシーン全体に計り知れない影響を与え続けています。
どのアルバムから聴くか迷う場合、入門用としては、やはり名盤の誉れ高く、彼女の原点が詰まった1st『Horses』か、ヒット曲も網羅しキャリアを概観できるベスト盤『Land (1975-2002)』がおすすめです。
| リリース年 | アルバムタイトル | 主な収録曲 | 特徴・プロデューサー |
|---|---|---|---|
| 1975年 | Horses (ホーセス) | Gloria, Free Money, Redondo Beach, Land | 詩とロックンロールを融合させた衝撃のデビュー作。(プロデュース:ジョン・ケイル) |
| 1976年 | Radio Ethiopia (ラジオ・エチオピア) | Ask the Angels, Pissing in a River, Radio Ethiopia | よりハードで実験的、ノイジーなサウンドを追求した意欲作。(プロデュース:ジャック・ダグラス) |
| 1978年 | Easter (イースター) | Because the Night, Rock N Roll Nigger, Privilege (Set Me Free) | 商業的成功と芸術性を両立させたキャリア最大のヒット作。(プロデュース:ジミー・アイオヴァイン) |
| 1979年 | Wave (ウェイヴ) | Frederick, Dancing Barefoot, So You Want to Be (a Rock ‘n’ Roll Star) | 洗練されたサウンドとポップな側面が加わった活動休止前の最終作。(プロデュース:トッド・ラングレン) |
2-2. デビュー前、若い頃の活動
パティ・スミスが1975年に「パンクの女王」として音楽シーンにセンセーショナルに登場する以前、彼女はまず詩人としてニューヨークのアンダーグラウンドな芸術シーンでその名を馳せていました。
1967年、彼女はニュージャージー州の田舎町から、アーティストになるという夢だけを抱えてニューヨーク市へと移住します。
当初は書店で働きながら糊口をしのぎ、詩を書き、演劇に出演するなど、貧しいながらも芸術活動に没頭していました。
この極貧の時代に、彼女の生涯における「芸術的な魂の伴侶」とも言うべき写真家、ロバート・メイプルソープと運命的に出会います。
二人は伝説的な「チェルシー・ホテル」の一室で共に暮らし、互いの才能を励まし合い、刺激し合いながら、それぞれの創作活動を支え合いました。
この濃密な日々こそが、彼女のアーティストとしてのアイデンティティを確立させたのです。
彼女の活動が本格的に音楽へと結びついたのは、ロック評論家でもあったギタリスト、レニー・ケイと出会ってからです。
当初のパフォーマンスは、スミスが自作の詩を情熱的に朗読し、そのバックでケイが即興的にエレクトリック・ギターを演奏するという、非常に実験的なスタイル(ポエトリー・リーディング)でした。
この前衛的なスタイルが、ニューヨークのダウンタウン・シーンで徐々に高い評価を獲得。
伝説のライブハウス「CBGB」などでテレヴィジョンやラモーンズといったバンドと共に演奏を重ねるうちに、現在のバンド形式へと発展していきました。
彼女にとって音楽は、自らの「詩」を人々に届けるための、最も強力なメディアだったのです。
回顧録『ジャスト・キッズ』と全米図書賞
このロバート・メイプルソープとの若き日の貧しくも純粋な交流と、芸術への揺るぎない情熱を綴った回顧録『ジャスト・キッズ』(2010年)は、世界的なベストセラーとなりました。
さらに、文学作品としても極めて高く評価され、2010年の全米図書賞(ノンフィクション部門)を受賞しています。
彼女が音楽家であると同時に、第一級の文筆家でもあることを証明した作品であり、彼女の若い頃を知る上で欠かせない一冊です。
2-3. 独自のファッションスタイル

パティ・スミスの影響力は、彼女が生み出す音楽や詩だけに留まりません。
彼女のファッションスタイル、特にキャリア初期のビジュアル・イメージもまた、後世に計り知れないほど大きな影響を与えました。
最も象徴的なのは、やはりデビューアルバム『Horses』のジャケット写真で見せた姿でしょう。
ロバート・メイプルソープが撮影したこのモノクロームのポートレートで、彼女は古着の白いシャツに黒いネクタイを緩く締め、ジャケットを無造作に肩にかけ、無防備とも言える真っ直ぐな視線でこちらを見据えています。
当時の女性ロックスターのイメージといえば、華美な衣装やグラムロック的なメイク、あるいは過度に性的な側面を強調したものが主流でした。
しかし、彼女のスタイルはそうした既存のイメージを真っ向から拒否するものでした。
彼女が提示したのは、男性的なアイテム(シャツ、ネクタイ、ジャケット)を意図的に取り入れた「両性具有的(アンドロジナス)」なスタイルです。
これは、性別による固定観念や役割(=女性はこうあるべき)という社会的束縛からの解放を意味していました。
それは彼女の音楽が持つ反骨精神や芸術至上主義と完全に一致しており、「女性も、性的に消費される対象としてではなく、一人の知的なアーティストとしてロックを表現できる」という強力なメッセージとなったのです。
このシンプルかつ力強いスタイルは、その後のパンク・ファッションの隆盛に直接的な影響を与えただけでなく、アン・ドゥムルメステールといった多くのファッションデザイナーや、あらゆる世代のアーティストにインスピレーションを与え続けています。
2-4. 近年の来日公演情報
パティ・スミスは70代後半となった現在でも、その創作意欲は衰えることなく、世界中で精力的にライブ活動や芸術活動を続けており、日本にもたびたび来日しています。
2000年代以降もフジロック・フェスティバルへの出演や、単独でのポエトリー・リーディング公演などを重ねてきました。
記憶に新しいところでは、2025年春に、実に9年ぶりとなる大規模な来日が実現し、大きな話題を呼びました。
これは、NYとベルリンを拠点にする現代音響芸術集団「サウンドウォーク・コレクティヴ」との長年にわたるコラボレーション・プロジェクト「コレスポンデンス (CORRESPONDENCES)」を日本で初披露するためのものでした。
この来日プロジェクトは単なるコンサートツアーではなく東京都現代美術館での展覧会(2025年4月26日〜6月29日)と、京都(ロームシアター京都)および東京(新国立劇場 オペラパレス)でのパフォーマンス公演が組み合わされた、総合芸術的な内容でした。
詩の朗読、音楽、そして映像が交錯するこのパフォーマンスは、彼女の芸術家としての現在地を示す、非常に濃密な体験となりました。
2025年来日時のエピソード:日本文化への深い敬意
この2025年の来日中、彼女は日本文化への深い敬愛を具体的な行動で示しています。
彼女は多忙なスケジュールの合間を縫って、自身が敬愛してやまない作家である芥川龍之介や太宰治、そして映画監督の小津安二郎の墓参りに訪れたことをSNSなどで報告しています。
彼女の芸術が、単なる西洋のロックや文学だけでなく、いかに多様な世界の文化からインスピレーションを得て豊かになっているかが分かる感動的なエピソードです。
最新の公演情報について
パティ・スミスの来日公演は不定期であり、今回のような大規模なプロジェクトは特に貴重です。
次回の来日情報を逃さないためには、彼女の公式サイトや公式SNS、またフジロック・フェスティバルのような日本の主要な音楽フェスティバル、そして招聘元のプロモーター(ウドー音楽事務所など)の情報を定期的にチェックすることをおすすめします。
2-5. まとめ:パティスミスの代表曲
この記事では、パティスミス 代表曲の数々と、彼女が単なる「パンクの女王」ではなく、ロックと詩を融合させた偉大なアーティストと呼ばれる背景について掘り下げてきました。
彼女の音楽とメッセージは、時代や世代を超えて今もなお強い影響力を持ち続けています。
- パティ・スミスは「パンクの女王」と呼ばれるが、その本質は詩とロックを融合させた芸術家である
- デビューアルバム『Horses』は1975年にリリースされ、ロック史における金字塔とされる
- 代表曲「Gloria」はゼムのカバーと自作の挑発的な詩「In Excelsis Deo」を融合させた作品
- 「Gloria」は「イエスは誰かの罪のために死んだけど…」という有名な一節で始まる
- 最大のヒット曲はブルース・スプリングスティーンと共作した「Because the Night」
- 「Because the Night」は1978年のアルバム『Easter』に収録され、全米13位を記録
- 「Free Money」は『Horses』収録のレニー・ケイとの共作で、静から動へのダイナミズムが特徴
- 社会派アンセム「People Have the Power」は夫フレッド・”ソニック”・スミスとの共作
- 「People Have the Power」は9年の活動休止を経た1988年の『Dream of Life』に収録
- 音楽活動を始める前、若い頃はニューヨークで詩人として活動していた
- 写真家ロバート・メイプルソープとの若き日の交流は回顧録『ジャスト・キッズ』に詳しい
- 『ジャスト・キッズ』は2010年に全米図書賞を受賞し、文筆家としても高く評価された
- 『Horses』のジャケットで見せた両性具有的なファッションも後世に大きな影響を与えた
- 2025年には9年ぶりとなる大規模な来日公演・展覧K会「コレスポンデンス」が開催された
- 入門用には、彼女の原点が詰まった名盤『Horses』やベスト盤『Land』が推奨される
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