【完全保存版】イーターというバンドの存在|唯一無二のサウンドと魅力を徹底解説

紫基調のポスター風デザインに大きな「EATER」ロゴとアリのシンボル、メンバーのモノクロ写真4枚。左右に縦書きで「イーターというバンドの存在」「唯一無二のサウンドと魅力を徹底解説」と配されたEater紹介ビジュアル。

「イーター バンド」という名前で検索されたあなたは、彼らの衝撃的な歴史や音楽について知りたいと思っているかもしれません。

イーターは、伝説のライブハウス Roxy Club を拠点に活動し、その姿は 「The Punk Rock Movie」 にも記録されています。

若きドラマー Dee Generate の存在や、中心人物 Andy Blade が率いたバンドは、「Outside View」 や 「Lock it up」 といった名曲を生み出しました。

唯一のアルバム 「Eater The Album 」や、その後のディスコグラフィー、さらには再結成に至るまでの軌跡は、今なお多くのファンを惹きつけてやみません。

今回は、イギリスの初期パンクシーンを駆け抜けた、イーターというバンドの全貌に迫ります。

この記事でわかること

  • イーターが「ガキパンク」と呼ばれた理由
  • バンドの中心人物とメンバーの変遷
  • 代表曲と唯一のスタジオアルバムの魅力
  • バンド解散から再結成までの流れ
目次

1. 衝撃の登場!イーター バンドとは

  • 10代半ばのメンバーとDee Generate
  • 伝説のRoxy Clubでの活動
  • 「The Punk Rock Movie」での衝撃
  • デビューシングル「Outside View」
  • 代表曲「Lock it up」の魅力

1-1. 10代半ばのメンバーとDee Generate

イーター(Eater)というバンドがパンクの歴史において特異な存在感を放っている最大の理由は、その衝撃的なメンバーの若さにあります。

1976年にロンドン北部フィンチリーで結成された当時、ヴォーカルのアンディ・ブレイド(Andy Blade)とギターのブライアン・シェベット(Brian Chevette)は15歳、最年長だったベースのイアン・ウッドコック(Ian Woodcock)ですら17歳でした。

さらに驚くべきことに、ドラマーのディー・ジェネレイト(Dee Generate)は、当時わずか13歳だったとされています。

彼らは文字通り「ガキパンク」であり、パンクの「誰でもバンドをやっていい」というDIY精神を最も純粋な形で体現していました。

学校に通いながら夜はライブハウスのステージに立つという「輝かしい二重生活」を送っていたのです。

特に重要なのが、ドラマーのDee Generateの存在です。

彼はザ・ダムドのドラマー、ラット・スケイビーズ(Rat Scabies)にドラムを習っていたとも言われ、その加入がバンドの方向性を決定づけました。

彼が加入する前のイーターは、T.レックスやヴェルヴェット・アンダーグラウンドのスローなコピーが中心でしたが、Dee Generateが「スローには叩けない」と主張し、すべての曲をBPM(テンポ)アップさせたことで、彼ら独自の性急なパンクサウンドが誕生したのです。

イーターの初期メンバー(1976年)

  • Andy Blade(アンディ・ブレイド):ヴォーカル (15歳)
  • Brian Chevette(ブライアン・シェベット):ギター (15歳)
  • Ian Woodcock(イアン・ウッドコック):ベース (17歳)
  • Dee Generate(ディー・ジェネレイト):ドラム (13歳)

しかし、この若さはバンドにとって強みであると同時に、最大の弱点にもなりました。

Dee Generateは、そのルックスからアイドル的な人気を博した一方で、他のメンバーよりも早くパンクの最先端の感性を吸収していました。

その早熟さが他のメンバーとの間に軋轢を生み、ドラッグの問題なども重なった結果、バンドの絶頂期とも言える1977年半ばに彼はバンドを脱退(事実上の解雇)してしまいます。

1-2. 伝説のRoxy Clubでの活動

イーターの初期の活動を語る上で欠かせないのが、ロンドンの伝説的なパンク・ライブハウス「The Roxy Club」(ロキシー・クラブ)の存在です。

1977年初頭、ロキシーが最も熱狂的だったわずか100日間の営業期間中、イーターは何度もヘッドライナーとして出演しました。

驚くべきことに、当時はまだ無名に近かったザ・ダムドやシャム69といったバンドが、イーターのサポートアクトを務めたこともあったのです。

これは、いかにイーターがシーンの初期において中心的な存在であったかを示しています。

このロキシーでの熱狂的な活動は、当時のパンクシーンを記録したコンピレーション・アルバム『The Roxy London WC2』に、彼らのライブ音源2曲(アリス・クーパーのカバー「15」と「I Don’t Need It」)が収録されたことで不滅のものとなりました。

これが彼らにとって実質的なレコードデビューであり、イーターがロンドン・パンクのグラウンド・ゼロ(爆心地)にいた動かぬ証拠です。

ロキシー・クラブとは?

1977年のごく短期間(1月〜4月)だけ営業していたロンドンのライブハウス。セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ザ・ダムドなど、初期パンクの重要バンドがこぞって出演し、「ロンドン・パンクの聖地」と呼ばれています。イーターはここの「常連バンド」の一人でした。

1-3. 「The Punk Rock Movie」での衝撃

イーターの若さと混沌としたエネルギーは、映像作品によっても鮮烈に記録されています。

それが、当時のロキシーでDJを務めていたドン・レッツ(Don Letts)が監督したドキュメンタリー映画『The Punk Rock Movie』(1978年)です。

ドン・レッツは、ライブの転換中にBGMとしてレゲエやダブを流し、後のポストパンクにも大きな影響を与えた人物です。

彼がスーパー8カメラで撮影した生々しい映像で構成されたこの映画には、ザ・クラッシュやセックス・ピストルズといった大物バンドと並んで、イーターも大きくフィーチャーされています。

映画には「No Brains」のライブパフォーマンスなどが収録されていますが、観客に最も強烈な印象を与えたのは、バックステージで撮影された通称「豚の頭事件」のシーンでしょう。

これは、ドラマーのDee Generateの発案で肉屋から手に入れた豚の頭を、メンバーがナイフやナタで切り刻み、客席に投げ込むという、まさに10代の若者ならではの無軌道でショッキングなパフォーマンスを捉えたものです。

この映像は、イーターというバンドの衝動性を象徵する逸話として、今も語り継がれています。

1-4. デビューシングル「Outside View」

ロキシーでの活動と並行し、イーターはレコードデビューを果たします。

1977年3月、セックス・ピストルズのエンジニアだったデイヴ・グッドマンが主宰するインディーズレーベル「The Label」から、ファーストシングル『Outside View』がリリースされました。

このシングルは、イギリス初のパンクシングルの一つとして数えられており、インディーズの新人バンドとしては異例の約18,000枚を売り上げたとされています。

サウンドは荒削りで、演奏も決して上手いとは言えませんが、アンディ・ブレイドの投げやりでコックニー訛りのヴォーカルと、Dee Generateが叩き出す性急なビートが一体となった、初期衝動そのものの魅力に溢れています。

B面に収録された「You」と共に、彼らのサウンドを定義づける重要な一作となりました。

ジャケットに写る、睨みつけるようなメンバーの写真も、彼らの「ガキパンク」としてのイメージを決定づけました。

1-5. 代表曲「Lock it up」の魅力

イーターの代表曲として、多くのパンクファンに愛されているのが、1977年10月にリリースされた3枚目のシングル「Lock It Up」です。

この曲は、『パンクでぶっとばせ』という強烈な邦題で日本でもリリースされ、話題となりました。

歌詞は「カネをたんまり持ってるあいつらは、閉じこもって出てこねえ(Lock It Up, Hide Away)」といった内容で、若者らしい疎外感や富裕層への皮肉がストレートに表現されています。

プロデューサーのデイヴ・グッドマンによるサウンドは、ギターやドラムが「ペラペラ」と評される一方で、ベースの音が異様に大きくミックスされており、これが独特のグルーヴを生み出しています。

一説には、ピストルズのプロデューサーの座を奪われたグッドマンが、分厚いギターサウンドのピストルズへの対抗心から、ストラングラーズのような、あえてベースを強調したサウンドにしたとも言われています。

B面には彼らのルーツであるT.レックスのカバー「Jeepster」を収録しており、このアンバランスさこそが、イーターのサウンドの魅力と言えるでしょう。

この曲の「ペラペラだけど、ベースがブンブンうなる」サウンドは、当時のメジャーなロックとは全く異なるものでした。

ピストルズともクラッシュとも違う、このチープさが逆にカッコよく聴こえたのです。

2. イーター バンドの作品と軌跡

  • 唯一のアルバム 「Eater The Album」
  • 中心人物 Andy Blade の存在
  • イーターの全ディスコグラフィー
  • バンド再結成後の活動
  • イーターというバンドが残した功績

2-1. 唯一のアルバム 「Eater The Album」

1977年11月、バンド唯一のスタジオアルバム『Eater The Album』がリリースされました。このアルバムもシングル同様、『パンクでぶっとばせ』という邦題で日本に紹介されています。

デイヴ・グッドマンによる「ゼロ・プロダクション」とも呼ばれる生々しいサウンドが特徴で、収録曲の半分近くはカバー曲で占められています。

ルーツを示すカバー曲と後世への影響

彼らがカバーしたのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(「Sweet Jane」「Waiting for the Man」)、デヴィッド・ボウイ(「Queen Bitch」)、アリス・クーパー(「I’m Eighteen」を「Fifteen」と改題)といった、グラムロックやプロトパンクのアーティストたちです。

バンド名がT.レックスの歌詞から取られていることからも分かる通り、彼らのルーツがグラムロックにあったことを示しています。

このアルバムは、パンクの古典として後世にも影響を与え続けています。

後世への影響

ダイナソーJr.のJ・マスシスは、自身が最も聴いたアルバムとしてこの『Eater The Album』を挙げています。さらに、ブラック・フラッグのヘンリー・ロリンズも熱心なファンであることを公言しており、後年アンディ・ブレイドが出版した自伝に序文を寄せているほどです。

リミックス盤『Ant』

ただし、中心人物のアンディ・ブレイドは後年、このアルバムはギターのオーバーダブなどが施されていない「未完成の作品」であり、レーベルによって急いでリリースされたものだったと明かしています。

この歴史的エラーを修正するため、2022年にはオリジナルのマスターテープから復元・リミックスされたバージョンが、『Ant』(アルバムジャケットのアリに由来し、本来意図したタイトルだった)としてリリースされました。

2-2. 中心人物 Andy Blade の存在

イーターというバンドを語る上で、フロントマンであるAndy Blade(アンディ・ブレイド)の存在は欠かせません。

本名をアシュラフ・ラドワンと言い、アングロ・エジプト系のルーツを持つ彼は、バンドの顔であると同時に、T.レックスの歌詞から「Eater」というバンド名を発案するなど、コンセプト面でも中心的な役割を担いました。

バンド解散後、80年代にはザ・カルトのビリー・ダフィーとアパートをシェアしながらソロ活動を模索しますが、大きな成功には至りませんでした。

しかし、彼の功績は音楽活動だけにとどまりません。

自伝の出版

2005年、彼は『The Secret Life of a Teenage Punk Rocker』(ティーンエイジ・パンクロッカーの秘密の生活)という自伝を出版。この本は、当時のパンクシーンの内側を「ガキ」の視点から描いた貴重な一次資料として、非常に高く評価されています。

彼のソロ作品はパンクよりもスパークスやフランク・ザッパからの影響が色濃いと評され、パレスチナ問題のような複雑なテーマに取り組むなど、知的なアーティストとしての一面も持っています。

メンバーのその後:Lutfi Radwan

ちなみに、アンディ・ブレイドの弟であり、Dee Generate加入前に短期間ドラムを叩いていたルトフィ・ラドワン(Lutfi Radwan / Social Demise)は、音楽界を離れ、後に食倫理学や持続可能な生活を研究する著名な学者になるという、驚くべきキャリアを歩んでいます。

2-3. イーターの全ディスコグラフィー

イーターの公式な活動期間は、1976年の結成から1979年初頭の解散までと非常に短命でした。

そのため、残された公式音源は多くありませんが、そのすべてが初期パンクの衝動を凝縮しています。

主なディスコグラフィーは以下の通りです。

形式タイトルリリース年レーベル
7″ シングルOutside View / You1977年3月The Label
7″ シングルThinkin’ of the USA / Space Dreamin’1977年6月The Label
7″ シングルLock It Up / Jeepster1977年10月The Label
LP アルバムThe Album1977年11月The Label
7″ EP (Live)Get Your Yo-Yo’s Out1978年6月The Label
7″ シングルWhat She Wants She Needs / Reach For The Sky1978年12月The Label

メンバーチェンジについて

イーターのサウンドを理解する上で、メンバーチェンジは重要です。前述の通り、1977年半ばにドラマーのDee Generateが脱退(事実上の解雇)し、後任としてより技術的に安定したフィル・ローランド(Phil Rowland)が加入しています。そのため、アルバム『The Album』やシングル「Lock It Up」でドラムを叩いているのはフィル・ローランドです。
さらに1978年には、ギターのブライアン・シェベットも脱退。後任にはゲイリー・ステッドマン(Gary Steadman / 後のClassix Nouveaux)が加入し、サウンドはより洗練されたものへと変化していきました。

2-3. バンド再結成後の活動

1979年、「アンディ・ブレイドの父親から学業に専念するように諭された」という、いかにも彼ららしい理由で解散したイーターですが、90年代以降、何度か再結成を果たしています。

主な再結成は以下の通りです。

  • 1996年: ブラックプールで開催されたパンク・フェスティバル「Holidays in the Sun」に出演するため再結成(アンディとブライアンが参加)。
  • 2006年: ロンドンの100クラブでの単独ギグや、バズコックスの30周年記念ツアーのサポートとして再結成。この時はDee Generateも参加したとされています。
  • 2022年〜現在: アンディ・ブレイドが「JoJo & The Teeth」というバンドのメンバーと共に、Eater名義を復活させ、精力的にライブ活動や音源リリースを行っています。

現在もアンディ・ブレイドを中心にEaterの伝説は続いており、2025年10月にはカバーアルバム『Duplication』をリリースするなど、単なるノスタルジアに留まらない活動を展開しています。(参照:Eater公式Bandcamp

2-4. イーターというバンドが残した功績

  • イーターは1976年にロンドンで結成された
  • 平均年齢15〜16歳という最年少パンクバンドだった
  • ドラマーのDee Generateは13歳(または14歳)で加入した
  • バンド名はT.レックスの歌詞に由来する
  • 伝説のRoxy Clubでヘッドライナーを務めた
  • ザ・ダムドやシャム69が前座を務めたこともある
  • ドン・レッツの『The Punk Rock Movie』に出演した
  • 「豚の頭事件」は彼らの象徴的な逸話である
  • デビューシングルは1977年のOutside View
  • 代表曲にはLock It upやThinking of the USAがある
  • 唯一のスタジオアルバムはEater The Album
  • アルバムの邦題は『パンクでぶっとばせ』だった
  • デイヴ・グッドマンがプロデュースを手掛けた
  • 中心人物はヴォーカルのAndy Blade
  • Andy Bladeは後に自伝『The Secret Life of a Teenage Punk Rocker』を出版した
  • 1979年に一度解散したが、その後数度再結成している
  • 2022年以降もAndy Bladeを中心に活動中である
  • パンクの「誰でもできる」というDIY精神を体現したバンドとして記憶されている

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この記事を書いた人

はじめまして!
\ ブログ管理人の「TAKU」です /

50代後半、ブログ運営とWebライティングに取り組んでいます。
これまでの人生で培ってきた経験や趣味をベースに、「大人の楽しみ方」をテーマに情報を発信中です。

◆こんなことを発信しています
フィギュア・レザージャケットなど、大人の趣味紹介

ロックバンド活動や健康管理法

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