こんにちは。ジェネレーションB、運営者の「TAKU」です。
「クランプス バンド」と検索して、このページに来てくれたんですね。
あなたが探しているのは、あの伝説的なアメリカのバンド「The Cramps(ザ・クランプス)」のことですよね!
ボーカルのラックス・インテリアとギターのポイズン・アイビーという夫婦を中心にした彼らは、サイコビリーというジャンルを切り開いた存在です。
その独特な音楽性や過激なファッション、今でも人気のTシャツやアートワークまで、魅力は尽きません。
一方で、そのキャリアは謎に包まれた部分も多く、流動的だったメンバー構成や、あの有名な精神病院でのライブ音源のこと、そしてボーカルのラックスの死去に伴うバンドの現在など、知りたいことはたくさんあると思います。
この記事では、The Crampsという唯一無二のバンドの全貌に迫っていきますね。
この記事でわかること
- 伝説のバンド「The Cramps」の結成と歴史
- サイコビリー誕生の背景とメンバーの変遷
- バンドの音楽、ファッション、伝説のライブの真相
- ボーカルの死去とバンドが遺した文化的影響
1. 伝説のバンド、The Crampsとは
まずは、「クランプス バンド」として最も多くの人がイメージするであろう「The Cramps」が、一体どんなバンドだったのか。
その誕生から、彼らを伝説たらしめる強烈なエピソードまで、基本的なところから掘り下げてみましょう。
彼らは単なるバンドではなく、一つの「現象」でした。
1-1. サイコビリージャンルの創始者
The Crampsを語る上で絶対に外せないのが、「サイコビリー(Psychobilly)」という音楽ジャンルを事実上、生み出したバンドであるという点です。
彼らの音楽は、50年代のロカビリーやR&B、60年代のガレージ・ロック、サーフ・ミュージックといった、アメリカの忘れ去られたルーツミュージックに、B級ホラー映画、SF、性的フェティシズムといった「トラッシュ・カルチャー(ゴミのような文化)」の美学を大胆に融合させました。
それを70年代のパンク・ロックが持つ、生々しい攻撃性とDIYな速度感で再構築した、まったく新しいサウンドだったんです。
影響源はハッキリしていて、リンク・レイの歪んだギターリフ、ハシル・アドキンスの狂気、そしてスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのシアトリカルなパフォーマンスなど、当時の主流からは外れた「本物」の匂いがするものばかりでした。
彼らが愛したガレージ・ロックの荒々しさも、そのサウンドの核になっています。
ちなみに、「サイコビリー」という言葉自体は、ジョニー・キャッシュの曲 “One Piece at a Time” の歌詞に登場するもので、彼らが自分たちの音楽を宣伝するために、チラシなどで使い始めたとされています。
ただ、ラックス・インテリア本人は後に、あくまで客寄せのための「見世物小屋(carny)の用語」であって、自分たちの音楽スタイルを定義するものではないと語っています。
80年代に入り、スラップ・ベースを強調した高速なロカビリー・パンク(ザ・メテオーズなど)が「サイコビリー」と呼ばれるようになると、彼らはそのシーンに分類されることを明確に拒否しました。
彼らは常に、他の何物でもない「The Cramps」だったんですね。
1-2. 中核メンバー、ラックスとポイズン・アイビー
The Crampsの33年間にわたる活動の中で、ラインナップは頻繁に入れ替わりました。
しかし、唯一不動の核心だったのが、ボーカリストのラックス・インテリア(Lux Interior)とギタリストのポイズン・アイビー(Poison Ivy)という夫婦です。
二人の出会いは1972年のカリフォルニア州サクラメント。
当時アートスクールの学生だった二人は、アイビーがヒッチハイクしているのをラックスが車で拾ったことをきっかけに出会ったそうです。
まさにB級映画のワンシーンみたいですよね。
ラックスは、アイビーが興味を持っていると語った「アートとシャーマニズム(Art & Shamanism)」という講義のクラスメートで、お互いの芸術的関心やレコード収集への情熱で意気投合した二人は、オハイオを経て1975年にニューヨークへ移住します。
バンド名とステージネームの由来
バンド名の「Cramps」は、文字通り「痙攣」や「拘束具」を意味しています。
一部では女性の月経に伴う痛みを指すスラングだという説もありますが、バンドのイメージに合う「痙攣」や「拘束」と考えるのが自然かなと思います。
ラックスのステージネームは古い車の広告から(過去にはVip VopやRaven Beautyといった名前も試したとか)、アイビーの名前は夢のお告げで授かったと言われており、当初は「Poison Ivy Rorschach(ポイズン・アイビー・ロールシャッハ)」と名乗っていました。
そのネーミングセンスからして、彼らの美学がすでに確立されています。
この二人の強固なパートナーシップと「生涯にわたるアート・プロジェクト」という意識こそが、メンバーが入れ替わってもバンドの音楽性やテーマを一貫させた、唯一無二の源泉だったんですね。
1-3. CBGBとニューヨーク・パンク時代
1975年にニューヨークへ移住した二人は、まさにパンク・ロックが生まれようとしていた胎動のど真ん中に飛び込みます。
パティ・スミス、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズといったバンドが毎晩のように演奏していた伝説のライブハウス「CBGB」や「Max’s Kansas City」で、The Crampsも定期的に演奏を始め、シーンの重要な一翼を担う存在となりました。
当時、彼らと並んでCBGBを拠点にしていたラモーンズとも、リハーサルスペースを共有した時期があったそうです。

当時のNYパンクシーンは彼らを暖かく迎え入れたものの、彼らは明らかに「異端児」だったようです。
他のバンドが都市的なリアリズムやアート志向の実験性に向かう中、The Crampsは一貫して忘れ去られたアメリカの「トラッシュ・カルチャー」(B級ホラー、50年代ロカビリー)に傾倒していました。
ラックスの原体験は、故郷オハイオの深夜ラジオでカルト的人気を誇ったDJ(Ghoulardiなど)の悪趣味なユーモアにあったそうです。
彼らはNYでシーンに合流する以前から、独自の美学を確立しており、CBGBはそれを発表するための「場」として最適だったんですね。
奇妙なことに、彼らの初のイギリスツアーは、あのThe Policeのサポートアクトとしてでした。
1-4. 流動的だったバンドメンバーの変遷
ラックスとアイビーという核を除き、The Crampsのメンバーは非常に流動的でした。
このメンバーチェンジは、単なる人事異動ではなく、バンドのサウンド・デザインにおける明確な「時代区分」を示していると、私は考えています。
主要な歴代メンバー
- ブライアン・グレゴリー (Bryan Gregory): 1976年から1980年まで在籍した創設メンバーの一人。骸骨のような顔に白髪、水玉模様のフライングVギターという彼の幽玄なイメージと、ファズの効いたノイジーなギターは、初期サウンドの象徴でした。『Songs the Lord Taught Us』 (1980年) を残して脱退します。
- ニック・ノックス (Nick Knox): 1977年から1991年まで在籍。バンド史上、最も長くドラムの席に座った人物であり、その黒髪とサングラスに覆われたストイックな表情は、バンドのクールな美学に大きく貢献しました。
- キッド・コンゴ・パワーズ (Kid Congo Powers): 1980年から1983年まで在籍。ブライアン脱退後に加入。彼は当時、ザ・ガン・クラブ(The Gun Club)のメンバーでもあり、彼の加入と共にバンドはNYからロサンゼルスへ拠点を移しました。
- キャンディ・デル・マー (Candy del Mar): 1986年から1991年まで在籍。初期はベースレス、またはアイビーがベースを兼任する編成だったThe Crampsに初めて加わった恒久的なベーシストで、彼女の加入でサウンドがより重厚なロックに変化しました。
これらのメンバー変遷は、バンドのサウンドを以下の3つの時代に大別できることを示しています。
| 時代 | 主要メンバー (ラックス、アイビー以外) | 代表アルバム | サウンドの特徴 |
|---|---|---|---|
| 第1期: NY / カオス期 (1976-1980) | ブライアン・グレゴリー | Songs the Lord Taught Us | ベースレス、2ギター編成。原始的で混沌としたガレージ・パンク。 |
| 第2期: LA / 移行期 (1980-1983) | キッド・コンゴ・パワーズ | Psychedelic Jungle | LA移住。NY時代の混沌さを残しつつ、サウンドが洗練され始める。 |
| 第3期: ベース導入期 (1986-1991) | キャンディ・デル・マー | A Date With Elvis, Stay Sick! | 恒久的なベースが加わり、より重厚でグルーヴィーなロックサウンドへ移行。 |
1-5. 伝説となった精神病院ライブ
The Crampsのキャリアを語る上で、最も伝説的なエピソードが、1978年6月13日に行われたナパ州立精神病院(Napa State Mental Hospital)での無料コンサートです。
これは、サンフランシスコのバンド、ザ・ミュータンツ(The Mutants)と共に、入院患者さんたちのために行われたフリーライブでした。
その様子は、アート集団「Target Video」によって、当時としては革新的なソニーのポータブルビデオ(Portapak)を用い、白黒の映像で記録されました。
観客は100人から200人ほどの患者さんたちと、少数の病院スタッフ、そしてバンドと一緒に来た十数人のパンクファンでした。
残された映像には、患者さんたちがステージに上がり、ラックスのマイクを奪って一緒に歌ったり、トランス状態のように踊ったりする、まさにカオスな姿が記録されています。
パフォーマーと観客、あるいは「正常」と「狂気」の境界線が完全に溶解しているんです。
このライブで、ラックスは観客に向かってこう言い放ちました。
「誰かが、あんたたちはクレイジーだと言った。だが、俺はそうは思わない。俺にはあんたたちは大丈夫に見える」
「サイコビリー(Psychobilly)」の「サイコ(Psycho)」を、本物の精神病院(Psycho-Hospital)で実践したこの行為は、単なるライブを超えたコンセプチュアル・アートであり、彼らの哲学が最も純粋な形で現れた、パンク史に残る伝説的な瞬間として語り継がれています。
後にラックスやアイビーは、このライブで「50人の患者が脱走した」と冗談めかして語っており、その神話性も込みで伝説となっているんですね。
2. The Crampsが遺した文化的影響
The Crampsは、単なるアンダーグラウンドなバンドとして終わったわけではありません。
彼らが後世に与えた影響は、音楽、ファッション、アートワークなど、カルチャーのあらゆる側面に及んでいます。
その具体的な功績を見ていきましょう。
2-1. 代表曲と必聴アルバムガイド
The Crampsの音楽に初めて触れるなら、まずはベスト盤的なコンピレーションか、初期のアルバムがおすすめです。
彼らの世界観が凝縮された代表曲とアルバムをいくつか紹介しますね。
| リリース年 | アルバムタイトル | 主な代表曲 |
|---|---|---|
| 1980年 | Songs the Lord Taught Us | “I Was a Teenage Werewolf”, “Garbageman” |
| 1981年 | Psychedelic Jungle | “Goo Goo Muck” |
| 1984年 | Bad Music for Bad People | “Human Fly”, “Surfin’ Bird” |
| 1986年 | A Date With Elvis | “What’s Inside a Girl?” |
| 1990年 | Stay Sick! | “Bikini Girls With Machine Guns”, “The Creature From the Black Leather Lagoon” |
1stアルバムの『Songs the Lord Taught Us』は、メンフィスで伝説的プロデューサーのアレックス・チルトン(Alex Chilton)と共に録音され、初期の混沌とした衝動が詰まった名盤です。
『Psychedelic Jungle』はLA移住後の作品で、”Goo Goo Muck”は彼らの代表曲の一つになりました。
入門編として最適なのは、コンピレーション盤の『Bad Music for Bad People』でしょうか。
初期のシングル曲が網羅されており、バンドの代名詞とも言える “Human Fly”も収録されています。
『Stay Sick!』はバンド史上、最も商業的に成功したアルバムの一つで、”Bikini Girls With Machine Guns”は彼らの数少ないヒットシングルとなりました。
2-2. ラックス・インテリアの過激なステージ
The Crampsの美学は、ラックス・インテリアのライブパフォーマンスで頂点に達しました。
彼のステージは「熱狂的(frenetic)」かつ「挑発的(provocative)」そのものでした。
ハイヒールを履き、時にはビキニパンツ一枚というほぼ裸の姿でステージに現れ、性的に極めてきわどい動きを繰り返しました。
彼の代名詞的なパフォーマンスが、マイクのヘッド全体を口に深く咥える、通称「マイクへのフェラチオ」です。
ほかにも、観客の靴に注がれたワインを飲み干したり、観客とマイク越しに10分間キスを続けたりと、その奇行は枚挙にいとまがありません。まさに常軌を逸していますよね。
しかし、これらは単なるスキャンダル目的のパフォーマンスではなかった、と私は考えています。
ラックスは、バンドのテーマである「抑圧されたリビドーと狂気の解放」を儀式的に行う「シャーマン」のようでした。
彼は、二人がサクラメントで出会った時に語り合った「アートとシャーマニズム」を、文字通り生涯をかけて体現したんです。
彼は「モンスター、エイリアン、追放者」について歌うだけでなく、自らがその「モンスター」になることで、社会の「はみ出し者」である観客を解放しようとした。
「混沌とした自己破壊」のイメージを演じながら、実際には「厳格な芸術的規律」を実践していたんですね。
そのパフォーマンスの激しさを物語るものとして、ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)には、ラックスがライブ中に頭突きで突き破ったバスドラムのヘッドが展示されているほどです。(出典:Rock & Roll Hall of Fame)
2-3. ポイズン・アイビーのファッションとギター

バンドのもう一方の核であるポイズン・アイビーは、音楽的な支柱であると同時に、強烈なファッション・アイコンでもありました。
ギタリストとしての功績
彼女のギタリストとしての才能は、しばしばそのルックスの影に隠れがちですが、The Crampsのサウンドは彼女のギターなしには成立しません。
彼女は単なるギタリストではなく、アレンジャー、プロデューサーでもあり、ラックスと共に全オリジナル曲を共作しています。
彼女は生前、インタビュアーが彼女の音楽的才能について質問せず、外見やラックスとの関係ばかりに注目することに不満を表明していたそうです。
リンク・レイに影響を受けた原始的でファズの効いたリフが特徴で、使用機材も個性的でした。
- ギター: 初期はBill LewisのカスタムギターやAmpeg Dan Armstrongのプレキシギターを使用していましたが、彼女のトレードマークとなったのは1985年に入手した1958年製のオレンジ色のGretsch 6120ホロウボディ・ギターです。
- アンプとエフェクト: Fender Pro Reverbアンプに、Univox Super Fuzzなどのファズペダルを組み合わせるのが定番だったようです。
ファッション・アイコンとして
彼女のファッションは、バーレスクやSMカルチャーから強い影響を受けていました。
ラテックスやビキニ、ハイヒールといったセクシーでフェティッシュな出で立ちは、バンドのビジュアルを決定づけました。(ちなみに、検索でよく混同されるDCコミックスの同名キャラクター「ポイズン・アイビー」とは別人です)。
実際、バンド初期には彼女がSMの女王様(dominatrix)として働いた収入が、バンドの活動資金になっていた時期もあるそうです。
彼女の功績は、過激な性的イメージを打ち出しながら、同時にバンドの音楽的実権(プロデューサー、アレンジャー)を完全に掌握していた点にあります。後のライオット・ガール世代など、多くの女性ミュージシャンに道を開いた存在と言えるでしょう。
2-4. 今なお人気のTシャツとアートワーク
The Crampsは商業的に大ヒットしたバンドではありませんが(ヒットシングルは極めて少ない)、彼らのバンドTシャツは、ラモーンズのTシャツのように、世代や音楽の嗜好を超えたカルト的なファッション・アイテムとして定着しています。
特に有名なのは、コンピレーション・アルバム『Bad Music for Bad People』のアルバムカバーや、「Human Fly」のグラフィックがあしらわれたデザインですね。
あのB級ホラー映画のポスターのような、おどろおどろしくもユーモラスなアートワークは、バンドの「トラッシュ美学」そのものです。
あの『Bad Music for Bad People』の象徴的なジャケットは、スティーヴン・ブリッケンスタッフ(Stephen Blickenstaff)というアーティストが描いたラックス・インテリアのカリカチュアだそうです。
彼らのTシャツを着ることは、単なるファングッズを超えて、「私は主流の『良い』カルチャーではなく、こういうB級で混沌とした『悪い』カルチャーが好きなんだ」というアイデンティティ表明の記号になっているんだと、私は思います。
2-5. ラックスの死去とバンドの現在
33年間にわたり続いたThe Crampsのアート・プロジェクトは、2009年2月4日、ボーカルのラックス・インテリアが持病の心臓疾患(大動脈解離)により急逝したことで、突然終わりを告げました。62歳でした。
The Crampsはラックスとアイビーの二人のプロジェクトであったため、ラックスの死はそのままバンドの死を意味しました。
アイビーがラックス抜きでバンドを継続することはあり得ず、彼女はラックスの死後、公の場から姿を消しています。
そのため、バンドとしての「現在」の活動はありません。
残念ながら、彼らの新しい音楽やライブを体験することはもう不可能です。
ちなみに、初期の主要メンバーだったギタリストのブライアン・グレゴリーも2001年に心臓発作の合併症で、最も長く在籍したドラマーのニック・ノックスも2018年に亡くなっています。
総括:クランプスというバンドが持つ意味
ここまで見てきたように、The Crampsは、単なる一つのロックバンドに留まりません。
彼らは、主流の文化からは「ゴミ(トラッシュ)」として無視されていたB級ホラー映画や、忘れ去られたロカビリー・ナンバーを拾い集め、それを「カルト(崇拝対象)」へと昇華させました。
ニック・ケイヴ(Nick Cave)、ジョン・スペンサー(Jon Spencer)、ジャック・ホワイト(Jack White)をはじめ、ザ・ブラック・キーズ(The Black Keys)、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(My Bloody Valentine)、フェイス・ノー・モア(Faith No More)など、彼らに影響を受けた後続のオルタナティヴ・アーティストは数知れません。
The Crampsが体現したのは、ロックンロールが本来持っていた、最も危険で、セクシーで、混沌とした「野生の心」そのものだったんだと、私は思います。
だからこそ、ラックスが亡くなった今でも、彼らの音楽と美学は世界中の「はみ出し者」たちを魅了し続けているんですね。
💿 アナログ盤で味わう“生のクランプス”








コメント