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【徹底研究】エクスプロイテッド:衝撃のスローガン「Punks Not Dead」と必聴名盤ガイド

エクスプロイテッドのロゴ、パンクス・ノット・デッドの文字とモヒカンスカル

エクスプロイテッド」というバンド名を聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか。

真っ赤なモヒカンのボーカル、ワッティーの姿を思い浮かべるかもしれません。

あるいは、「Punks Not Dead」という有名なスローガンや、彼らの象徴的なTシャツのデザインが頭に浮かぶ人もいるでしょう。

エクスプロイテッドは、単なるパンクバンドではなく、「UK82」というハードコア・パンクのムーブメントそのものを定義した存在です。

彼らのアルバム、特に初期の名盤とされる作品群は、後世に多大な影響を与えました。

この記事では、バンド名の意味から、過激なである「U.S.A.」の背景、流動的なメンバー構成、そして気になる来日公演の歴史まで、エクスプロイテッドの核心に迫ります。

目次

1. エクスプロイテッドとは?UK82パンクの象徴

  • バンド名の「意味」とは?
  • 不動のボーカル「ワッティー」の経歴
  • 変遷の激しい歴代「メンバー」構成
  • スローガン「Punks Not Dead」
  • アイコンとしての「Tシャツ」デザイン

1-1. バンド名の「意味」とは?

エクスプロイテッド(The Exploited)というバンド名は、英語で「搾取された者たち」を意味します。

これは、バンドが結成された1970年代後半から1980年代初頭にかけての英国の社会情勢と深く、そして直接的に結びついています。

単なる経済的な意味での「搾取」だけでなく、社会システム全体から疎外され、声を踏みにじられ、存在しないかのように扱われているという、労働者階級の若者たちの鬱屈した感覚を端的に表現しています。

当時の英国は、マーガレット・サッチャー首相の政権下で、急進的な経済改革(サッチャリズム)が進められていました。

その結果、伝統的な製造業は衰退し、経済的な落ち込みと記録的な失業率に直面します。

特にバンドの出身地であるスコットランドのエディンバラを含む北部の工業地帯では、多くの労働者階級の若者たちが職を失い、未来への希望を見いだせない状況にありました。

英国の失業率は1980年代初頭には300万人を超える深刻なレベルに達していました。

🇬🇧 時代の空気とバンドの誕生

サッチャー政権下の英国は、貧困と社会不安、そして1981年のブリクストン暴動やトクステス暴動に象徴されるような、人種問題も絡んだ大規模な都市暴動が頻発する、まさに一触即発の状態でした。

エクスプロイテッドの音楽は、まさにその時代の不満や絶望を代弁するものであり、「搾取された者たち」の叫びそのものだったと言えます。

彼らのバンド名は、単なる過激な響きを狙ったものではありません。

それは、自らが属する労働者階級の現実の立場と、エリート層や体制に対する剥き出しの怒りをストレートに表現したものでした。

この「本物」の怒りこそが、彼らの音楽の原動力となり、多くの若者の共感を呼んだのです。

1-2. 不動のボーカル「ワッティー」の経歴

エクスプロイテッドを語る上で絶対に欠かせないのが、バンドの顔であり、議論の余地のないリーダーであるボーカルのワッティー・バカン(Wattie Buchan)です。

彼は1979年のバンド結成以来の唯一の不動のメンバーであり、その強烈な個性とビジュアルで、バンドの象徴であり続けています。

彼のトレードマークである真っ赤に染め上げられた巨大なモヒカンヘアーは、単なる奇抜なファッションではなく、社会の規範に対する明確な拒絶と攻撃性を示す「鎧」のような役割を果たしていました。

彼がステージに立つだけで、その存在自体がメディアや体制に対する挑発となっていたのです。

彼の経歴で非常に特徴的なのは、英国陸軍に所属していた元軍人(ex-squaddie)であるという点です。

貧しい労働者階級の家庭に生まれ、父親の会社が倒産したことで養護施設に入れられた過去も持つ彼は、その環境から抜け出すために軍に入隊したと言われています。

しかし、ドイツ駐留時にセックス・ピストルズを聴いてパンクの洗礼を受け、軍隊という究極の権威主義的な組織の中でパンクファッションをしていたために独房に入れられたという逸話も残っています。

反骨精神の原点

軍隊という組織内部から体制を見た経験は、彼の反権威主義的な思想を決定づけたと考えられます。

除隊後、不況下の故郷エディンバラで仕事が見つからなかったワッティーは「やることがないから」という理由でバンドを結成しました。

彼の「元軍人」という経歴は、初期の代表曲「Army Life」や「Dogs of War」といった軍事や戦争をテーマにした曲に、他のバンドにはない生々しいリアリティを与え、バンドの反権威主義的なイメージをより強固なものにしています。

1-3. 変遷の激しい歴代「メンバー」構成

エクスプロイテッドは、フロントマンであるワッティー・バカンという絶対的な核を除き、非常にメンバーの入れ替わりが激しいことでも知られています。

そのキャリアを通じて、これまでに30人以上とも(一説には40人以上とも)言われる膨大な数のメンバーがバンドを通過してきました。

この激しいメンバーチェンジは、バンドの混沌としたイメージを強調する要因となっています。

理由としては、ワッティーの強烈な個性と妥協のないリーダーシップ、過酷なツアー生活、そして音楽性の違いなどが挙げられます。

特にバンドがハードコアからスラッシュメタルへと音楽性を変化させていく過程で、従来のスタイルを志向するメンバーが離れていくこともありました。

しかし、その時々のラインナップがバンドのサウンドに異なる色合いを与えてきたことも事実です。

特に初期のサウンドを確立したラインナップは重要視されています。

時期 / 主要アルバムギターベースドラムス
『Punks Not Dead』 (1981)ビッグ・ジョン・ダンカンゲイリー・マコーマックドルー・スティックス
『Troops of Tomorrow』 (1982)ビッグ・ジョン・ダンカンゲイリー・マコーマックスティーヴ・ロバーツ
『Let’s Start a War…』 (1983)カール “エッグヘッド” モーリスビリー・ダンウィリー・バカン
近年のラインナップ (参考)ロビー “スティード”アイリッシュ・ロブウィリー・バカン

特筆すべきは、初期のギタリストであるビッグ・ジョン・ダンカン(Big John Duncan)です。

彼はバンドのメタリックなサウンド形成に大きく貢献しました。

彼は1983年に脱退しますが、後にニルヴァーナのギターテックとして『In Utero』ツアーに帯同し、1993年のブラジル公演で一度だけセカンドギタリストとしてステージに立ったことでも知られています。

これは、UK82パンクと90年代のUSオルタナティブ・ロック・シーンを繋ぐ、非常に興味深い接点(ミッシングリンク)の一つとされています。

また、ワッティーの実弟であるウィリー・バカン(Wullie Buchan)が、1980年代と1990年代以降の長期間にわたってドラムを担当しており、彼もまたバンドのサウンドの核を支える重要な存在となっています。

1-4. スローガン「Punks Not Dead」

「Punks Not Dead(パンクは死んでない)」は、エクスプロイテッドの代名詞であり、彼らの記念すべきデビューアルバムのタイトルであり、そして1980年代のパンクシーン全体を象徴する不滅のスローガンです。

このスローガンが生まれた背景には、1970年代末の状況が深く関係しています。

セックス・ピストルズの解散(1978年)やシド・ヴィシャスの死(1979年)により、第一世代のロンドン・パンクムーブメントは急速に終焉を迎えました。

メディアはこぞって「パンクは死んだ」と書き立て、シーンはポストパンクやニュー・ウェイヴへと移行していました。

さらに、アナーコ・パンク(無政府主義パンク)の代表格であったバンドCrassが、そのものずばり「Punk Is Dead」という曲を発表し、パンクの商業化と形骸化を批判しました。

UK82ムーブメントの鬨の声(ときのこえ)

ワッティーたちは、こうした「パンクは終わった」という風潮や、Crassの知的なアプローチ(彼らはアート・コレクティブ的な側面も持っていた)に対し、ストリートからのより直接的で暴力的な回答として「ふざけるな、俺たちがパンクだ」とばかりに『Punks Not Dead』を掲げました。これは単なる反論ではなく、パンクの「再定義」でもありました。アートスクール的な側面もあった第一波パンクに対し、パンクを再びストリートの、労働者階級の手に取り戻すという意志表示だったのです。

このスローガンは、より速く、より攻撃的で、ストリートの怒りを剥き出しにした新しいパンクの波、すなわち「UK82」ハードコア・パンクムーブメントの幕開けを告げる高らかな宣言(鬨の声)となりました。

このシンプルで力強いメッセージは、第一波パンクに乗り遅れた、あるいはその終焉に失望していた英国中の若者たちの共感を呼び、エクスプロイテッドを第二波パンクの疑いようのない旗手として押し上げました。

1-5. アイコンとしての「Tシャツ」デザイン

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エクスプロイテッドの視覚的イメージとして、ワッティーのトレードマークであるモヒカンと並んで強力なのが、あの象徴的なスカルロゴです。

このロゴは、パンクファッションの定番アイテムとして、バンドの音楽を聴いたことがない人々の間でも広く普及しています。

この「モヒカンスカル」のロゴ(しばしば”Mohican Skull”や”Barmy Army Skull”と呼ばれる)は、ハードコアやスラッシュメタルのアートワークで絶大な人気を誇るアーティスト、Pushead(パスヘッド)のデザインであると広く認識されています(ただし、その正確な制作経緯や公式なクレジットについては諸説あります)。

このデザインは、バンドの混沌とした攻撃的な精神性、そして死をも恐れない反逆の意志を見事に表現しており、Tシャツやレザージャケットのバックパッチとして、世界中のパンクスに愛用され続けています。

インターネットが普及する以前の時代において、この強力なビジュアルイメージは、音楽そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に、バンドの知名度と影響力をグローバルに拡大させる上で重要な役割を果たしました。

所属を示す「トライブ(部族)」の証

このTシャツを着ることは、単なるファングッズの消費ではなく、バンドの熱狂的なファン集団「Barmy Army(バーミー・アーミー)」、ひいてはパンクという「トライブ(部族)」への所属を宣言する意味合いを持っていました。

ロゴTシャツが、国境や言語を超えた「反逆のユニフォーム」として機能したのです。

2. エクスプロイテッドの音楽と名盤

  • デビュー「アルバム」と初期の衝撃
  • 決定的な「名盤」はどれ?
  • 代表的な「曲」を紹介
  • 物議を醸した「U.S.A.」
  • 「来日」公演の歴史
  • 総括:エクスプロイテッドの功績

2-1. デビュー「アルバム」と初期の衝撃

1981年にシークレット・レコードからリリースされたデビューアルバム『Punks Not Dead』は、エクスプロイテッドの存在をアンダーグラウンドから一気に表舞台へ知らしめた衝撃的な作品です。

前述の通り、このタイトル自体が当時の音楽シーンに対する力強い宣言であり、カウンターカルチャーとしてのパンクの存続をアピールしました。

音楽的には、70年代のパンク(特にセックス・ピストルズ)の荒々しさと、労働者階級の叫びである「Oi!」パンクのアンセム的な要素を融合させた、シンプルでストレートなサウンドが特徴です。

洗練とは無縁の生々しいエネルギーが全編を貫いており、「Cop Cars」や「Army Life」「Dogs of War」といった、彼らの初期のレパートリーを代表する曲が収録されています。

このアルバムは商業的にもインディーズとしては異例の大きな成功を収めました。

1981年の英国インディペンデントチャートで年間1位を獲得し、さらに英国のナショナルアルバムチャートでも20位にランクインするという快挙を成し遂げました。

これは、メジャーレーベルの巨大なプロモーション予算なしに、ライブハウスでの口コミとDIYな流通だけでメインストリームのチャートに殴り込みをかけたことを意味し、彼らのスローガンが単なる強がりではなく、商業的にも証明された現実であったことを示しています。

2-2. 決定的な「名盤」はどれ?

エクスプロイテッドのキャリアにおいて、どのアルバムを「名盤」とするかはファンの間でも意見が分かれるところです。

しかし、音楽的な頂点として、そして後世への影響力という点で最も多くの支持を集めるのは、間違いなく1982年リリースのセカンドアルバム『Troops of Tomorrow(トゥループス・オブ・トゥモロー)』でしょう。

このアルバムで、彼らは前作のストリートパンク・サウンドから飛躍的な進化を遂げます。

よりタイトで重厚になった演奏、改善されたプロダクション、そしてMotörheadなどにも通じる明確なメタリックな重さとスピードを本格的に導入しました。

パンクの性急なDビートと、NWOBHM(ニュー・ウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル)に通じる重厚なギターリフが、このアルバムで本格的に融合したのです。

このサウンドこそが、同時期に活動していたDischargeやGBHといったバンドと共に、「UK82」ハードコア・パンクの音響的テンプレートを確立したと高く評価されています。

「UK 82」の誕生とスラッシュへの影響

このアルバムに収録されている楽曲「UK 82」は、まさにこの新しいハードコア・パンクムーブメントそのものに名前を与えることになりました。

この1曲が、シーン全体を象徴するアンセムとなったのです。

さらに重要なのは、このアルバムがパンクとメタルの壁を打ち破った点です。

『Troops of Tomorrow』は、パンクの攻撃性とメタルの重さ・技術を融合させた、「クロスオーバー・スラッシュ」の最重要原型の一つと見なされています。

後にアメリカのスラッシュメタルバンドであるスレイヤー(Slayer)が、パンクのカバーアルバム『Undisputed Attitude』(1996年)で、このアルバムから「UK 82」と「Disorder」の2曲を取り上げたこと(参照:AllMusic)は、エクスプロイテッドがスラッシュメタルシーンに与えた影響の大きさを明確に示しています。

続く1983年の『Let’s Start a War…』も、フォークランド紛争への怒りをタイトルに冠した「ある日マギー(サッチャー首相)が戦争を始めようと言った」という痛烈な政治的メッセージを持つ名盤として知られています。

2-3. 代表的な「曲」を紹介

エクスプロイテッドのキャリアは長く、時代によって音楽性もスラッシュメタルへと接近していきますが、特に初期から中期にかけての代表曲は、今なおパンクシーンのアンセムとして愛されています。

Army Life (1980年)

記念すべきデビューEPの表題曲。

ワッティー自身の元軍人という経歴が色濃く反映された、軍隊生活の理不尽さと抑圧を歌った曲です。

シンプルながら強烈なインパクトを残し、彼らのアイデンティティを確立しました。

Dogs of War (1981年)

『Punks Not Dead』収録。

戦争や傭兵をテーマにした、彼らのミリタリー・イメージを象徴する一曲です。

ヘヴィなリフと不穏な雰囲気が特徴で、彼らの音楽性の幅を示しました。

Dead Cities (1981年)

シングルとしてリリースされ、ハードコア・パンクとしては異例中の異例である全英シングルチャート31位というヒットを記録しました。

このヒットにより、彼らは英国BBCの権威ある音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス(Top of the Pops)」に出演します。

ステージ上で暴れるバンドとパンクスの姿が全国のお茶の間に流れたことは大きな衝撃を与えました。

しかしこの出来事は、パンクが死んでいないことを証明すると同時に、「パンクが権威に取り込まれた」として一部のアナーコ・パンク勢力(特に彼らと長年対立することになるConflictなど)から「セルアウト(魂を売った)」と激しく非難されるきっかけにもなり、シーン内部のイデオロギー対立を先鋭化させました。

2-4. 物議を醸した「U.S.A.」

エクスプロイテッドの楽曲の中で、最も有名で、同時に最も物議を醸した曲が、セカンドアルバム『Troops of Tomorrow』に収録されている「U.S.A.」です。

正式な曲名は多くの場合「Fuck the USA」と表記され、そのタイトル通り、非常に直接的かつ過激な反米・反帝国主義のメッセージが込められています。

放送禁止レベルの過激な歌詞と時代背景

この曲は、サビで「Fuck the USA」と連呼する非常にショッキングな内容です。当時の時代背景には、米ソ冷戦の緊張が最高潮に達していたこと、そして英国国内に米軍の核ミサイル基地(グリーンアム・コモンなど)が配備され、大規模な反核・反米運動が起きていたことがあります。ワッティーの怒りは、単なる反米感情というよりも、米国のレーガン政権に追従し、英国民の意思を無視して自国を核戦争の最前線に差し出している(と彼らが感じていた)サッチャー政権への怒りが、その同盟国である米国に向けられたものと解釈できます。あくまで英国の労働者階級の視点からの「反権力」ソングであったことが重要です。

しかし、この曲はバンドの反権威主義的なスタンス(それは自国政府だけでなく米国にも向けられる)を最も象徴する曲として、世界中のパンクスから熱狂的な支持を集めました。

体制や権力に対して一切の忖度をしないエクスプロイテッドの姿勢が、この一曲に凝縮されています。

2-5. 「来日」公演の歴史

エクスプロイテッドは、その結成当初から一貫して世界中を精力的にツアーしており、日本にも複数回「来日」公演を行っています。

特にファンにとって記憶に残っているのは、1993年の来日公演です。

この時の東京(クラブチッタ川崎)でのライブの様子は、『Live in Japan』(1994年リリース)という公式ライブアルバムおよびビデオ作品として記録されており、クロスオーバー・スラッシュ期にあったバンドの凄まじいエネルギーと日本のファンの熱狂ぶりを今に伝えています。

その後も、2000年代に入ってからも数年おきに来日しており、2015年には幕張メッセで開催された大型フェス「PUNKSPRING」にも出演しています。

日本の熱心な「Barmy Army(バーミー・アーミー:熱狂的なファンを指す呼称)」の前で、結成から数十年を経ても変わらぬ攻撃的なパフォーマンスを披露しています。

近年、ボーカルのワッティーは深刻な健康問題と戦い続けています。

2014年にはツアー中にステージ上で心臓発作を起こし、緊急のバイパス手術を受けました。

さらに2017年には、ベルギーでの公演中に再びステージで倒れ、深刻な状態が報じられました。

2022年にも、コロンビアでの公演中に心臓発作で倒れています。(出典:amass 2022年12月14日

多くの人が引退を考えるような状況にありながら、彼は治療とリハビリを経てステージに復帰しています。

彼が今もなおステージに立ち続けることは、バンドの初期のスローガンである「Punks Not Dead」を、40年以上の時を経て文字通り「自らの肉体を持って」証明し続ける行為そのものと言えるでしょう。

2-6. 総括:エクスプロイテッドの功績

この記事では、UK82ハードコア・パンクの象徴であるエクスプロイテッドについて、その多面的な魅力を掘り下げてきました。

  • エクスプロイテッドは1979年にスコットランドで結成された
  • バンド名は「搾取された者たち」を意味し社会情勢を反映
  • ボーカルのワッティー・バカンは唯一の不動のメンバー
  • ワッティーは元軍人という異色の経歴を持つ
  • 「Punks Not Dead」はCrassへの返答でありUK82の象徴
  • スカルロゴのTシャツはパンクファッションのアイコン
  • デビューアルバムは1981年の『Punks Not Dead』
  • 『Punks Not Dead』はインディーチャートで年間1位を記録
  • セカンドアルバム『Troops of Tomorrow』が名盤とされる
  • 『Troops of Tomorrow』でメタリックなサウンドを確立
  • 収録曲「UK 82」がムーブメント名の由来となった
  • 「Fuck the USA」は過激な反米ソングとして物議を醸した
  • 「Dead Cities」でテレビ番組にも出演した
  • メンバーの入れ替わりが非常に激しいバンドである
  • 1993年をはじめ複数回の来日公演を行っている

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この記事を書いた人

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