【徹底解説】伝説のMC5というバンド:全員逝去とロックの殿堂入りまでの軌跡

MC5のロゴと「伝説のMC5というバンド 全員逝去とロックの殿堂入りまでの軌跡」というテキスト。

こんにちは。ジェネレーションB、運営者の「TAKU」です。

「MC5 バンド」と聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか?

伝説の「Kick Out the Jams」という名曲でしょうか、それとも同郷のストゥージズとの関係性でしょうか。

MC5は、ただのロックバンドという枠には収まらない、非常に過激で政治的な存在でした。

2024年に入り、彼らのクラシックメンバーが現在、全員死亡という悲しいニュースが駆け巡ると同時に、ついにロックの殿堂入りが決定したという、なんとも皮肉な話題がありました。

さらに、53年ぶりとなる遺作『Heavy Lifting』もリリースされるなど、今改めて注目が集まっています。

この記事では、そんなMC5というバンドが一体何だったのか、その強烈な歴史と彼らが残した伝説について、私なりにまとめてみました。

この記事でわかること

  • MC5というバンドの過激な歴史と音楽性
  • 名曲「Kick out the jams」と放送禁止用語事件
  • メンバーの逝去と2024年ロックの殿堂入り
  • 遺作アルバムや解散後の活動
目次

MC5というバンドとは?その伝説的歴史

まずは、MC5というバンドが何者だったのか、その基本的なところから見ていきましょう。

彼らはデトロイトが生んだ、単なるバンドを超える「現象」だったと私は思います。その音楽性や、過激な政治活動まで、彼らのアイデンティティを掘り下げます。

1-1. MC5の音楽性とプロトパンク

激しい炎と煙が立ち込める街中を、逆光の中でシルエットの人物たちが前進しているシーン。動きのある砂埃と赤い光が、混乱した暴動のような緊迫感を演出している。
ジェネレーションB イメージ

MC5のサウンドを一言で言うのは難しいですね。1960年代のデトロイトという、まさに「モーター・シティ」の工場の騒音や労働者階級の熱気、社会不安そのものを音楽にしたような、荒々しいエネルギーに満ちています 。

彼らの音楽が生まれたデトロイトは、西海岸の「ピース&ラブ」とは対極の場所でした。

ヒッピー文化が花開くサンフランシスコとは違い、デトロイトは自動車工場の喧騒と労働者のフラストレーション、そして1967年の暴動に象徴される人種間対立が渦巻く街。

MC5のサウンドは、その現実(リアリズム)を反映したものです。

基本的なルーツはガレージロックやR&Bなんですが、そこにウェイン・クレイマーフレッド・“ソニック”・スミスという二人のギタリストが、アヴァンギャルドな要素を持ち込んだのが画期的でした。

特に、フリージャズの巨人サン・ラーからの影響は強烈で、チャック・ベリー流のロックンロール・ギターに、まるで宇宙的なノイズや不協和音のようなソロを叩き込んだんです 。

彼らの暴力的なステージング、ド派手な衣装、そして凄まじい大音量のサウンド…これらが後の「パンク・ロック」の直接的なお手本になったわけです 。

だから、彼らは「プロトパンク(パンクの始祖)」と呼ばれています。

ラモーンズ、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュといった70年代のオリジネーターたち はもちろん、90年代のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン や、2000年代のガレージ・ロック・リバイバルに至るまで、彼らの影響は絶大です 。

1-2. ストゥージズとの関係性

激しい赤い照明の中、複数の人物が動き回りながら手を取り合っている様子をブレた動きで捉えた、混沌としたライブの瞬間。
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MC5を語るとき、絶対に外せないのが同じデトロイト(厳密にはアナーバー)出身のザ・ストゥージズ(イギー・ポップのバンド)の存在です。

彼らは「兄弟分」って言われるくらい密接な関係で、デトロイトの「グランディ・ボールルーム」といった伝説的なライブハウスでよく一緒に出演し、シーンを牽引していました 。

面白いのが、この二つのバンドの対比です。

どちらもプロトパンクの最重要バンドですが、そのアプローチは正反対でした。

  • MC5: 政治的・理論的。「社会革命」を公然と掲げる兄貴分。反抗の矛先は「社会」や「体制」。
  • ザ・ストゥージズ: 本能的・虚無的。「混沌」や「破壊衝動」を体現する弟分。反抗の矛先は「自分自身」や「人間の本能」 。

MC5がジョン・シンクレアという理論的支柱のもとで組織的に活動したのに対し、ストゥージズはイギー・ポップという個人の衝動とカリスマがすべて、といった感じでしょうか。

この二つのバンドが、後のパンク・ミュージックが持つ「政治的な怒り」と「個人的な虚無感」という二つの側面を、60年代末のデトロイトで既に定義づけていたと言っても過言じゃないかなと思います 。

1-3. ジョン・シンクレアと政治活動

夜の抗議集会で、無数の群衆が赤い炎と煙に包まれながら集まり、旗やバナーを掲げて行進している様子。
ジェネレーションB イメージ

MC5が他のバンドと決定的に違ったのは、その過激な政治思想です。

これを先導したのが、マネージャーだったジョン・シンクレアという人物でした 。

彼はジャズ詩人であり、ラディカルな政治活動家でした。

彼はMC5の音楽的才能を、政治革命の手段として利用しようとしたんですね。

彼は、ブラックパンサー党の指導者ヒューイ・P・ニュートンが「白人の連帯組織」を呼びかけたことに応え、反体制・反人種差別の過激派組織「ホワイト・パンサー党(White Panther Party, WPP)」を結成します 。

そしてMC5は、このホワイト・パンサー党の「公式な声」、すなわち「ハウスバンド」として位置づけられました 。

ウェイン・クレイマーは「文化大臣(Minister of Culture)」なんて肩書も持っていたそうです 。

ホワイト・パンサー党の10項目綱領

WPPは、ブラックパンサー党の「10項目綱領」をベースに、独自の綱領を掲げました。その中には「我々は、ロックンロール、ドラッグ、そして我々の肉体をストリートに解放することによる(既存文化の)破壊を要求する」といった、当時のカウンターカルチャー色全開の一文も含まれていました 。

その活動が最も象徴的に示されたのが、1968年8月、シカゴで開催された民主党全国大会(DNC)での抗議活動です 。

ベトナム戦争への反対を掲げる数千人のデモ隊と警察隊が激しく衝突する流血の事態となる中 、多くのアーティストが出演をキャンセル。

しかしMC5は、会場の外の公園でゲリラ的なライブを決行しました 。

ウェイン・クレイマーの回想によれば、なんと約8時間も演奏し続けたそうです 。

この行動により、彼らは「平和的なミュージシャン」ではなく「国家の転覆を狙う危険分子」として、全米の注目と監視を浴びることになります。

1-4. FBIによる監視とバンド解散

FBIの監視下にある1970年代デトロイトのロックシーンを象徴する薄暗いオフィスで、2人の男性が機密文書を調べている様子のモノクロ写真。
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「国からマークされる」というのは比喩じゃなくて、MC5とホワイト・パンサー党は実際にFBIの監視対象になっていました。

当時、FBIには「COINTELPRO(コインテルプロ)」っていう、国内の”破壊分子”とみなしたグループを監視・潜入・妨害・無力化するために行っていた、違法な秘密プログラムがあったんです 。

MC5は、このCOINTELPROの「ニューレフト(新左翼)」部門のターゲットとして、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやブラックパンサー党といった公民権運動のリーダーたちと同様に扱われていたんですね 。(出典:FBI Vault – COINTELPRO

バンド解散への道

  • 商業的失敗: デビュー後にレコード会社と大モメして(詳しくは後述します)、商業的な成功から完全に見放されました 。
  • リーダーの不在: 精神的支柱でありマネージャーだったジョン・シンクレアが、1969年にマリファナ2本を所持していた罪で、なんと懲役10年という(後に違憲判決が下される)過酷な判決を受け、収監されてしまいます 。これは明らかに政治的な弾圧でした。
  • 内部崩壊: 政治的リーダーを失い、商業的にも行き詰まったバンド内では、深刻なドラッグ(特にヘロイン)の問題が蔓延してしまいました 。

これによりバンド内の人間関係は修復不可能なほど悪化。

1972年にはベーシストのマイケル・デイヴィスが解雇され、続いてロブ・タイナーとデニス・トンプソンもバンドを去りました 。

そして1972年12月31日、すべてが始まった場所であるデトロイトのグランディ・ボールルームでのライブを最後に、MC5はそのオリジナル・ラインナップでの活動に終止符を打ちました 。

1-5. 名曲「Kick Out the Jams」

MC5の代名詞といえば、やっぱりこの曲「Kick Out the Jams」ですよね。

1969年にリリースされたデビューアルバムのタイトル曲です。

このアルバム、デビュー作なのにいきなり「ライブ盤」っていうのも異例なんですけど、エレクトラ・レコードの幹部が彼らのライブを見て、「スタジオではこのエネルギーは捉えきれない」と判断した結果だそうです 。

1968年のハロウィンに行われた2日間のライブを録音したもので、とにかく音が荒々しくて、当時のデトロイトの熱気がそのまま真空パックされています。

ちなみに、「Kick Out the Jams」って「既成概念をぶっ壊せ!」みたいな革命的なスローガンだと思われがちですが、元々は違ったみたいです。

「Kick out the jams」の本当の意味?

彼らがハウスバンドとして出演していた際、対バンが延々と退屈なジャム・セッション(即興演奏)を続けることがよくあったそうです。

それに対して、「さっさとジャム(jamming)を止めろ(kick outしろ)!」と野次った内輪のスラングだった、という説があります 。

それがいつの間にか、「本気を出せ」とか「革命を起こせ」といったスローガンとして独り歩きしていったんですね 。

デヴィッド・ボウイが「Cygnet Committee」という曲で、当時の空虚なスローガンの一つとしてこの言葉を引用しているのも面白いです 。

1-6. 放送禁止用語とレーベル解雇

この『Kick Out the Jams』が伝説となった最大の理由…それは「放送禁止用語」です。

アルバムの冒頭、タイトル曲の曲紹介で、ボーカルのロブ・タイナーがこう叫ぶんですね。

「Kick out the jams, MOTHERFUCKERS!」

今でもメジャー作品の冒頭でこんな言葉が入ることはあり得ないですが、当時はもちろん超ド級の大問題になりました。

レーベルは慌てて、この部分を「brothers and sisters!」に差し替えた検閲バージョンも用意したほどです 。

ハドソン百貨店とエレクトラ・レコード解雇事件

この「motherfucker」という一言が、バンドの運命を決定づけます。

  1. デトロイトの保守的な大手百貨店「ハドソン(Hudson’s)」が、この卑猥な言葉を理由に、アルバムの取り扱いを拒否しました 。
  2. これに対し、MC5とジョン・シンクレアは、地元のアンダーグラウンド紙『Fifth Estate』に「FUCK HUDSON’S!」という見出しの挑発的な全面広告を掲載 。あろうことか、所属レーベルであるエレクトラ・レコードのロゴも無断で使用しました 。
  3. 激怒したハドソンは報復として、エレクトラ所属の全アーティスト(あのドアーズなども含まれます)の作品を全店舗から撤去 。
  4. 多大な経済的損失を被ったエレクトラは、デビューからわずか数ヶ月でMC5を解雇しました 。

まさに自業自得、でも最高にロックンロールな逸話ですよね。

彼らはその後、アトランティック・レコードと契約し、2枚のスタジオ・アルバムをリリースしますが、これがまた両極端でした。

2nd『Back in the USA』 (1970年)

初のスタジオ盤 。

プロデューサーに、当時新進気鋭のロック評論家だったジョン・ランドウ(後にブルース・スプリングスティーンのマネージャーになる人)を起用しました 。

しかし、ランドウはMC5の売りだったフリージャズ的なノイズや荒々しさを嫌い 、彼自身の好みである50年代風のタイトでクリーンなロックンロール・サウンドへと「修正」してしまったんです 。

その結果、1stの爆発力を期待していたファンからは「牙を抜かれた」「骨抜きにされた」と酷評され、商業的にも惨敗 。

皮肉にも、このシンプルでタイトなサウンドが、後のパンク・ロックの美学を先取りしていたとして再評価されることになります 。

3rd『High Time』 (1971年)

2作目の失敗を受け、バンド自身がセルフ・プロデュースに近い形(実質プロデューサーはウェイン・クレイマー)で制作した最後のアルバムです 。

この時、バンドはドラッグ問題でボロボロだったんですが 、皮肉にも音楽的には『Kick Out the Jams』のエネルギーと『Back in the USA』のスタジオワークが最も高度に融合した「大傑作」が生まれました 。

ホーンセクションを導入した「Sister Anne」など、彼らの音楽的成熟の頂点とも言える内容で、批評家からも絶賛されました 。

…しかし、時すでに遅し。1作目と2作目の「失敗」で、レーベルからもファンからもすでに見放されており、傑作にもかかわらず全く売れませんでした 。

アトランティック・レコードも契約を解除。

これが決定打となり、バンドは翌1972年の解散へと繋がっていきます 。

2. MC5 バンドの遺産と最終章

解散後も、MC5というバンドの伝説は終わりませんでした。

特に2024年は、彼らの物語にとってあまりにドラマティックな年になりました。

メンバーたちの「今」と、彼らが残した「遺産」について触れていきます。

2-1. クラシックメンバー、現在全員死亡

これが2024年における、MC5に関する最も重要で、そして最も悲しいニュースです。

「MC5のメンバーは現在どうしてるの?」という問いの答えは、「クラシック・ラインナップの5人全員が亡くなっている」です 。

2024年の初頭、最後まで存命していた二人が相次いでこの世を去りました。

  • 2024年2月2日: リーダー格のギタリスト、ウェイン・クレイマーがすい臓がんのため死去 (75歳)
  • 2024年5月9日: 最後の生存者だったドラムのデニス・“マシンガン”・トンプソンが心臓発作の合併症のため死去 (75歳)

ウェイン・クレイマーの死からわずか3ヶ月後、デニス・トンプソンが亡くなり、これをもってMC5の伝説的な5人のメンバー全員が、この世を去りました。

ひとつの時代が完全に終わってしまったんだなと、強く感じさせられます。

MC5 クラシック・ラインナップの最期

メンバー名 担当楽器 逝去日 享年 死因
ロブ・タイナー (Rob Tyner) ボーカル 1991年9月17日 46歳 心不全
フレッド・“ソニック”・スミス (Fred “Sonic” Smith) ギター 1994年11月4日 46歳 心不全
マイケル・デイヴィス (Michael Davis) ベース 2012年2月17日 68歳 肝不全
ウェイン・クレイマー (Wayne Kramer) ギター 2024年2月2日 75歳 すい臓がん
デニス・“マシンガン”・トンプソン (Dennis Thompson) ドラムス 2024年5月9日 75歳 心臓発作の合併症

5人の反逆者たち

ロブ・タイナー (Vocal):

MC5 の象徴的フロントマン。

圧倒的な声量と存在感を誇り、バンドの轟音の中でも“マイクなしで聞こえた”という逸話が残るほど強烈なシンガーでした。

バンド名「MC5」は、彼がデトロイトの工業都市らしい無機質な響きを狙って名付けたとされています。

ステージを降りると物静かな性格で、読書家としても知られました。

フレッド・“ソニック”・スミス (Guitar):

ウェイン・クレイマーと並ぶ MC5 の二枚看板ギタリスト。

荒々しいロックンロールとフリージャズのエッセンスを融合させたギターワークは、後続パンクバンドに多大な影響を与えました。

解散後はデトロイトで活動を続け、後述しますが「パンクの女王」パティ・スミスと結婚。

二人は深い創作上の結びつきを持ち、共作『Dream of Life』(1988年)を残しています。

1994年、46歳で心不全により死去。

マイケル・デイヴィス (Bass):

MC5 の低音部を強力に支えたベーシスト。

解散後はドラッグ問題に苦しむ時期もありましたが、その後クリーンになり、2000年代にウェイン・クレイマーらとともに再結成プロジェクト「DKT/MC5」に参加。

バンドのレガシーを未来へ繋ぐ役割を担いました。2012年、68歳で死去。

ウェイン・クレイマー (Guitar):

MC5 の共同創設者でありリーダー格。

激しいプレイとカリスマ性でシーンを牽引し、解散後はドラッグ問題による服役を経験するも、出所後は社会活動と音楽活動を精力的に再始動しました。

晩年は MC5 の物語を締めくくるべくアルバム制作に全力を注ぎ、2024年リリースの『Heavy Lifting』を遺作として完成。2024年2月、膵臓がんのため75歳で死去。

デニス・“マシンガン”・トンプソン (Drums):

その異常な速さと正確性から「マシンガン」の異名を取るドラマー。

爆発的なビートは MC5 の推進力そのものでした。

晩年には『Heavy Lifting』の2曲にも参加し、最後までバンドの物語に関わる形となりました。

2024年5月、75歳で死去。クラシック・ラインナップ最後の生存者でした。

2-2. 2024年、ロックの殿堂入り

この悲劇と時を同じくして、あまりにも皮肉な栄光が訪れます。

2024年、MC5が「ロックの殿堂」入りを果たしました 。

彼らはその多大な影響力にもかかわらず、過去6回もパフォーマー部門にノミネートされながら、その過激さゆえか、ずっと選出を逃してきました 。

今回ついに「ミュージカル・エクセレンス・アワード(音楽的優秀賞)」という部門で殿堂入りが決定 。

これは、パフォーマー部門とは別に、音楽界に多大な影響を与えたアーティストに贈られる賞です。

一部では「(本流のパフォーマー部門ではない)残念賞だ」なんて声もあるみたいですが 、それでも彼らの功績が公式に認められたのは大きなことです。

インダクター(紹介者)を務めたのは、彼らから多大な影響を受けたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロでした。

彼はスピーチで「ラモーンズ以前、セックス・ピストルズ以前、ザ・クラッシュ以前に、パンク・ロックのテンプレートを発明した」と最大級の賛辞を送っています 。

ただ… あまりにも遅すぎた栄光ですよね。

この吉報が発表されたのは、ウェイン・クレイマーが亡くなった直後で、デニス・トンプソンが亡くなる直前。

彼らの栄光を称える式典のステージに立つクラシック・メンバーは、もう誰一人残っていませんでした。

2-3. 53年ぶりの遺作『Heavy Lifting』

2024年のMC5を語る上で、もう一つ欠かせないのが、53年ぶりとなる最後のスタジオ・アルバム『Heavy Lifting』(2024年10月18日リリース)です 。

これは、リーダーのウェイン・クレイマーが自らの死期を悟りながら、最後の力を振り絞って制作した、まさに「遺作」です 。

バンドのレガシーを未来永劫にわたって確立するために、このアルバムを完成させたと私は思います。

プロデューサーはボブ・エズリン 。

そして参加ゲストがすごい。

トム・モレロ(Rage Against the Machine)、スラッシュ(Guns N’ Roses)、ウィリアム・デュヴァール(Alice in Chains)、ヴァーノン・リード(Living Colour)、ティム・マキルラス(Rise Against)など、MC5をリスペクトする後輩たちが集結しています 。

このアルバムには、亡くなる直前のデニス・トンプソンも「Blind Eye」と「Can’t Be Found」の2曲でドラムを叩いており 、クラシック・メンバーが関わった最後の公式音源となりました。

クレイマーが、バンドの物語を「動かぬ証拠」として後世に残すために完成させた、執念のアルバムだと感じます。

2-4. フレッド・スミスとパティ・スミス

MC5のメンバーのプライベートで特に有名なのが、ギタリストのフレッド・“ソニック”・スミスと、「パンクの女王」と呼ばれるミュージシャン、パティ・スミスとの結婚ですね。

フレッドはMC5解散後、デトロイトで活動を続けていましたが、ニューヨーク・パンクのアイコンであるパティ・スミスと出会い結婚。

パティはフレッドと家庭を築くために、音楽シーンの第一線から一時引退し、デトロイトに移住しました。

フレッドは1994年に46歳の若さで心不全により亡くなってしまいますが 、二人はお互いに深い音楽的影響を与え合いました。

パティ・スミスの名盤『Dream of Life』(1988年)はフレッドとの共作でもあります 。

ちなみに、彼らの息子のジャクソン・スミスもミュージシャンで、一時期、ザ・ホワイト・ストライプスのドラマー、メグ・ホワイトと結婚していたことでも話題になりました 。

デトロイトの音楽の血は、こうして受け継がれているんですね。

2-5. ソニックズ・ランデヴー・バンド

MC5解散後のメンバーの活動として、音楽史的に特に重要なのが、フレッド・“ソニック”・スミスが結成した「ソニックズ・ランデヴー・バンド (Sonic’s Rendezvous Band)」です 。

これがまた、デトロイト・ロック・シーンの「スーパーグループ」なんですよ。

Sonic’s Rendezvous Band メンバー

  • フレッド・“ソニック”・スミス (from MC5) – ギター、ボーカル
  • スコット・アシュトン (from ザ・ストゥージズ) – ドラムス
  • スコット・モーガン (from The Rationals) – ギター、ボーカル
  • ゲイリー・ラスムッセン (from The Up) – ベース

このバンドは活動期間中に「City Slang」という伝説的なシングルを1枚残しただけでしたが 、そのサウンドはデトロイト・ロックの集大成として、今でも高く評価されています。まさに「知る人ぞ知る」デトロイトの伝説ですね。

一方、もう一人のギタリスト、ウェイン・クレイマーも、ニューヨーク・ドールズやハートブレイカーズのギタリスト、ジョニー・サンダースと一時期「ギャング・ウォー (Gang War)」というバンドを組んでいました。



こちらも正式なスタジオ録音作は無いものの、デトロイトとニューヨークのパンク・レジェンドが組んだ、夢のような共演としてライヴ・アルバムなどが残されています。

2-6. 総括:伝説のMC5 バンド

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

こうして見ると、MC5 バンドというのは、本当に特殊な存在だったんだなと改めて感じます。

彼らは音楽的な革新性(プロトパンク)と、過激な政治性、そして商業的な大失敗と自己破壊的な側面、そのすべてを持っていました。

彼らの「失敗」の軌跡そのものが、後のパンク・バンドにとって「メジャーレーベルといかに戦うか」「音楽と政治をどう結びつけるか」という完璧な反面教師、あるいはテキストになったとも言えます。

2024年、クラシック・メンバー全員がこの世を去り、奇しくも同じ年にロックの殿堂入りを果たし、そして53年ぶりに最後のアルバムがリリースされる…。

あまりにもドラマチックで、まるで壮大な映画のエンディングを見ているようです。

MC5というバンドの伝説は、これからもロックの歴史の中で「最も過激な始まりの音」として語り継がれていくんだと思います。

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