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【2025年最新版】「アンヌ隊員」ひし美ゆり子がかわいい理由とは?再評価される魅力を徹底解説

2025年最新版|ひし美ゆり子がかわいい理由を伝える水彩背景のアイキャッチ画像

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「ひし美ゆり子 かわいい」と検索してこのページにたどり着いたあなたは、かつて『ウルトラセブン』のアンヌ隊員として一世を風靡した彼女の現在や、その魅力の源に関心を寄せているのではないでしょうか。

時代を超えて語り継がれるひし美ゆり子さんは、今なおX(旧Twitter)やインスタで発信を続け、サイン会でも変わらぬ人気を見せています。中村倫也さんが「かわいい」と評したことが話題となり、写真集の再販や当時の画像・壁紙の需要も高まる中、5chなどでも再評価の声が絶えません。

一方で、東宝退社後に発生した“ヘアヌード”流出騒動や、引退と復帰を繰り返した女優人生には、決して平坦とは言えない側面もありました。夫との離婚や死別を経て、孫にも恵まれた家族との日々、そして2025年の再婚発表。その波瀾に満ちた結婚歴と人生経験は、決してスクリーンでは見えなかった彼女の“素顔”を物語っています。

また、調布市内でかつて営んでいた「台北飯店」などの飲食店経営や、黒柳徹子さんと混同されたエピソードなど、話題には事欠きません。ファンに誠実に向き合う性格と自然体の発信スタイルも、多くの支持を集める理由のひとつです。

本記事では、そんなひし美ゆり子さんの“かわいさ”の正体を、過去の名場面から現在の活動まで多角的にひもときながら紹介していきます。

どうぞ最後までお付き合いください。

✔︎ この記事でわかること

✔︎ アンヌ隊員としての若き日の魅力と当時の人気ぶり
✔︎ 写真集やSNSを通じて再評価される現在の活動
✔︎ 結婚歴や家族構成、プライベートの変遷
✔︎ 引退・復帰を繰り返した独自の女優人生

目次

1.ひし美ゆり子がかわいい!今も伝説として輝く女優

✔︎ アンヌ隊員で爆発的ブレイクした若き日
✔︎ 東宝退社と“ヘアヌード”流出の真相
✔︎ 大島渚監督も惚れ込んだ演技力と存在感
✔︎ 「かわいい」と語った中村倫也の審美眼
✔︎ 黒柳徹子と混同された写真が話題に

1-1.アンヌ隊員で爆発的ブレイクした若き日

ひし美ゆり子さんが一躍時の人となったのは、1967年に放送が始まった特撮ドラマ『ウルトラセブン』への出演がきっかけでした。彼女が演じたのは、ウルトラ警備隊の紅一点・友里アンヌ隊員。物語の中で科学者としての理知性と、時折見せる優しさと涙に象徴される女性らしさの両方を持ち合わせた存在で、子どもたちはもちろん、当時の青年層にも圧倒的な人気を誇りました。

それまで本名の「菱見地谷子(ひしみじやこ)」として活動していた彼女は、この作品を機に「ひし美ゆり子」へと改名。アンヌという役を通して、初めてテレビの第一線でその名と姿が知られるようになります。彼女の魅力は決して派手な美貌や演技力だけではなく、日常の延長にいるような親しみやすさにあったといえるでしょう。

また、アンヌ隊員は「戦うヒロイン」ではなく、冷静かつ聡明な判断を下す頭脳派のキャラクターとして描かれており、当時の女性像の中でも稀有な立ち位置を占めていました。このことが、女性ファンをも惹きつける大きな要素となったのです。

結果的に、ウルトラセブン放送期間中の1年間で彼女の名前は全国区となり、撮影現場では彼女を撮影したいと希望するスチルカメラマンが絶えなかったといいます。井の頭公園でのロケ撮影なども多数行われ、のちにこれらの写真は写真集としても高く評価されることになりました。

今なおアンヌ隊員は「特撮界の永遠のヒロイン」として語り継がれており、ブレイク当時の衝撃と印象がどれほど強烈であったかを物語っています。

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1-2.東宝退社と“ヘアヌード”流出の真相

ウルトラセブン終了後、女優としてのキャリアを積んでいたひし美ゆり子さんは、1972年に東宝との専属契約を終了しました。もともと女優業に強い執着がなかった彼女は、このタイミングで引退するつもりでいたと語っています。ところが、ひとつの事件がその後の人生を大きく変えてしまうことになります。

それは、あるフリーカメラマンによって撮影された“記念写真”が、彼女の知らぬうちに週刊誌に売られてしまったことでした。問題となったのはセミヌード、あるいはヘアヌードとも解釈されうるカットで、もともと個人的な記念として撮影されたものだったとされています。断り続けていたものの、東宝を辞めた後に「1回だけなら」と応じた写真が、裏切りのかたちで公に流出してしまったのです。

この一件は、当時の芸能界においても大きな波紋を呼びました。本人の了承を得ずに写真を流通させることは、現代であれば完全に犯罪行為として認識されるでしょう。しかし当時は情報の追跡手段も限られており、彼女が怒りや悔しさを感じながらも、そのカメラマンの行方すらつかめなかったという話には、時代の壁を感じずにはいられません。

この写真の掲載によって「ひし美=脱ぐ女優」というイメージが一部で先行し、結果的にヌードや官能的な描写を含む作品への出演オファーが急増しました。本人は「日活ロマンポルノだけは断り続けた」と語っており、女優としての表現の幅を意識していたことがわかります。

前述の通り、女優業を辞めようとしていた彼女にとって、この“流出”は皮肉なことに女優人生の新たな扉を開いてしまった出来事でした。あらためて見直すべきは、そのような困難の中でも自らの意志を貫き、単なる“脱ぐ女優”ではなく、多面的な女優として自分の道を切り拓いていった姿勢です。

1-3.大島渚監督も惚れ込んだ演技力と存在感

女優としての第二章を歩み始めたひし美ゆり子さんに注目していた人物の一人が、映画監督の大島渚氏でした。彼女に対し、大島監督は1976年公開の問題作『愛のコリーダ』への出演を打診しています。この映画は、実在の事件「阿部定事件」をモチーフにしており、日本映画史においても“芸術か猥褻か”という議論を巻き起こした作品として知られています。

当時のひし美さんは、まだ芸能事務所に所属しておらず、マネージャーもいない“フリー女優”という立場でした。そのため、大島監督本人から直接オファーを受けるという異例の流れで話が進んだのです。台本を読んだ彼女は内容の過激さに戸惑い、信頼していた監督・貞永方久氏に相談。結果として「やるべきではない」という助言を受け、出演を辞退する決断を下しました。

このエピソードが示すのは、大島渚という気鋭の監督が、当時のひし美ゆり子さんに“単なる裸を見せる女優”ではなく、存在そのものに説得力と奥行きを感じ取っていたという点です。実は彼女は、俳優・藤竜也さんと過去に複数の作品で共演しており、その藤竜也さんが『愛のコリーダ』で主演を務めていたことを考えると、そうした繋がりも出演オファーの一因になった可能性があります。

ただし、ひし美さん自身は『愛のコリーダ』の内容や意図を事前に詳しく知らなかったと語っており、相談の末に出演を辞退しています。それでも、大島監督が直接出演を打診するほど、彼女に強い関心を抱いていたことは確かであり、それは女優としての存在感が高く評価されていた証左ともいえるでしょう。

また、押井守監督や他の映像作家たちも、ひし美さんを“演じる女優”としてリスペクトしていたことが後年の証言からも明らかです。『真・女立喰師列伝』にて彼女を主演に起用した押井監督は、彼女の“佇まい”に唯一無二の魅力があると語っています。

このように、商業主義の中にいてもなお“演技”という軸を失わなかったひし美ゆり子さんの存在は、時代の中で埋もれなかった理由のひとつでもあります。華やかさに埋もれない芯の強さと、カメラを前にしたときの集中力が、名監督たちの心を動かしてきたのです。

1-4.「かわいい」と語った中村倫也の審美眼

俳優・中村倫也さんがテレビ番組の企画で紹介した“イチオシ美女”の一人に、ひし美ゆり子さんの名前が挙がったことは、往年のファンにとっても新鮮な驚きでした。番組内では、現代の女優や海外セレブに並んでひし美さんの写真が取り上げられ、彼は「文句なしの美人」と称賛しています。

この発言が注目されたのは、単に若手俳優が昔の女優に言及したからではありません。中村さんの美的センスや感性に共感を寄せる若い視聴者たちが、「ひし美ゆり子って誰?」と検索し、結果的に再評価の波が起きたからです。つまり、彼の一言が新しい世代への“入口”となったのです。

そもそも中村倫也さんは、ナチュラルで芯のある女性像に惹かれる傾向があり、それは彼の出演作やインタビューでも一貫して表れています。その審美眼が、50年以上も前に活躍していたひし美さんの魅力に向いたことは、非常に意味深い出来事でした。

また、番組で使用された写真は『ウルトラセブン』出演時代のもので、凛とした立ち姿と柔らかな目元が印象的な一枚です。中村さんが“ひし美ゆり子=かわいい”と感じたのも、単なるノスタルジーではなく、画面越しに伝わる独特の気品と温かみがあったからだと考えられます。

現在でもSNSでは「中村倫也が褒めた女優」として、再び彼女に興味を持つ人が増えています。世代を超えて伝わる美しさは、決して時代に埋もれるものではないということを証明した一件といえるでしょう。

1-5.黒柳徹子と混同された写真が話題に

インターネット上で話題となった“ある画像”があります。それは、若いころの黒柳徹子さんとして紹介された写真が、実はひし美ゆり子さんだったというケースです。この件はSNS上で大きな注目を集め、結果的にひし美さんの美貌が再び脚光を浴びるきっかけとなりました。

両者は世代も活動ジャンルも異なりますが、写真で見比べると確かにどこか通じる雰囲気があります。小顔で目鼻立ちのくっきりとした造形、そして知的な印象を伴う独特の存在感。それらの要素が重なったことで、見る人の中には「これは徹子さん?」と誤認する人が出ても不思議ではありません。

ただし、こうした“誤認騒動”の裏には、昭和を代表する女優たちへの関心が今なお高いという現実も見え隠れしています。特にSNS時代においては、一枚の写真が新しい文脈で再発見され、世代を越えた人気を呼び起こすことが珍しくありません。

このような出来事によって、かつての名優たちの知られざる一面や、時代を超えた魅力が見直されるのは決して悪いことではありません。むしろ、見た目の美しさだけではなく、その背後にある“生き様”や“キャリア”に注目が集まるきっかけにもなっています。

ちなみに当のひし美さんは、この騒動に対してとくに否定も肯定もせず、あくまで自然体で受け止めているようです。こうした柔軟な対応もまた、ファンの間で長く支持される理由のひとつなのかもしれません。

2.ひし美ゆり子がかわいい!再評価の時代へ

✔︎ 写真集の再販と貴重な画像アーカイブ
✔︎ サイン会・X・インスタでのファン対応
✔︎ 5chでも語り継がれるレジェンド女優
✔︎ 結婚歴・夫・家族・孫まで語った素顔
✔︎ 台北飯店と“アジアンタイペイ”の裏話
✔︎ 引退と復活を繰り返した独自の女優人生

2-1.写真集の再販と貴重な画像アーカイブ

ひし美ゆり子さんの存在を語るうえで、豊富に残された写真資料の数々は欠かせない要素といえます。特に『ウルトラセブン』出演当時のスチールやロケ撮影は、そのまま昭和の空気を切り取った貴重なアーカイブでもあります。

もともと彼女は東宝在籍時代からスチルカメラマンに人気があり、井の頭公園などで頻繁にロケ撮影が行われていました。こうして自然体の姿をカメラに収められることが多かったこともあり、後年の写真集再販においても、鮮度のある「生きた表情」が評価されている要因となっています。

特筆すべきは、復刊ドットコムから刊行された『YURIKO 1967–73』『days of ANNE 1967–2008』など、ファンから長年再発が望まれていた写真集のリニューアルです。いずれも、当時の未公開カットやフィルムからの高解像度再スキャンなどが施され、単なる懐古本ではなく“保存資料”としても成立する完成度を誇っています。

また、彼女の写真集はノスタルジーを超えて、女性の自然な美しさや年齢を重ねた表現の自由について再考させるものでもあります。水着姿やセミヌードを含むカットも多く収録されていますが、それらはあくまで表現の一環として位置づけられ、いやらしさを排した芸術的な構成となっている点も評価の対象です。

このように、ひし美さんの写真集は彼女の女優人生の“記録”でありながら、日本映画史や昭和カルチャーを紐解く上でも貴重な資料として再注目されています。

2-2.サイン会・X・インスタでのファン対応

ひし美ゆり子さんは、現在もSNSやイベントを通じてファンと積極的に交流を続けています。特にX(旧Twitter)やInstagramでは、自身の出演情報や出版物の案内だけでなく、日々の気づきや素直な想いも発信しており、その自然体な文章が多くのフォロワーの共感を呼んでいます。

SNS上でのやり取りは、ときに親しみやすく、ときに礼節を感じさせる内容となっており、ひとつひとつの投稿が“アイドルではない女優”としての気品を感じさせるものです。とくにデビュー60周年プロジェクトなどの節目に行われたコメント投稿は、長年のファンだけでなく、偶然彼女を知った若年層にも好印象を与えました。

また、リアルイベントとして開催されるサイン会では、一人ひとりのファンに丁寧に対応している様子が印象的です。多くのタレントが機械的になりがちな中、目を見て言葉を交わし、想い出話に耳を傾ける姿勢は、ファンとの“距離の近さ”を象徴するものといえます。

一方で、長時間の対応や体力的な負担もあることから、サイン会の開催頻度は決して多くありません。だからこそ、参加できた人にとっては“特別な記憶”となり、口コミやレポート記事を通して語り継がれる価値を持ちます。

このように、Xやインスタなどデジタルと、サイン会というアナログな手法を両立させながら、ひし美さんは“会えるレジェンド”としての存在感を放ち続けています。

2-3.5chでも語り継がれるレジェンド女優

ひし美ゆり子さんの名は、インターネット掲示板5chでも定期的に話題にのぼります。そこでは単なる思い出話にとどまらず、女優としての評価、出演作品の影響力、そして現在の活動に至るまで多角的に語られており、“伝説枠”としてのポジションを確立している様子がうかがえます。

5chでは匿名性があるがゆえに、時として辛辣な意見や揶揄も見られるものですが、彼女に関しては意外なほど好意的なトーンが多いのが特徴です。たとえば、「セブンのアンヌが一番かわいかった」「あの頃の東宝女優で一番印象的だったのは彼女」といった書き込みが見受けられます。これらは単なる懐古趣味ではなく、実際にリアルタイムで作品を観た世代の“記憶”が裏打ちされた発言といえるでしょう。

また、映画『忘八武士道』や『新仁義なき戦い 組長の首』といった“硬派”な作品への出演についても語られることがあり、「脱ぎ仕事でも芯がある女優だった」といったリスペクトの声もあります。こうしたやり取りの中には、昭和の芸能文化やメディアの在り方を考える上でのヒントも多く含まれています。

一方で、現在のひし美さんのSNS活動について「昔のスターがこうやって今もファンと繋がっているのはすごい」といったコメントも多く、過去と現在の“橋渡し”としての存在に価値を見出すユーザーも少なくありません。

5chという場は、表層的な人気では通用しない一面もあります。その中で長く語られ、比較対象として他の女優が引き合いに出されること自体が、彼女の“本物の人気”と“記憶に残る演技”の証しといえるのではないでしょうか。

2-4.結婚歴・夫・家族・孫まで語った素顔

ひし美ゆり子さんは、スクリーンの中ではセクシーで神秘的な女性を演じる一方で、プライベートでは素朴で現実的な一面を持っていました。これまでのインタビューやエッセイでは、自身の家族や結婚についても率直に語っており、そこには一人の女性としての悩みや喜びが垣間見えます。

彼女の最初の結婚は1975年。相手は芸能界とは無関係の一般男性でした。この結婚で長男をもうけましたが、結婚生活はあまり長く続かず、比較的早期に離婚という決断をしています。その後、1979年には8歳年下の中華料理店経営者と再婚。3人の子どもを授かり、4児の母として忙しい日々を送ることになります。

しかし、この再婚もまた永遠のものではありませんでした。2016年、夫との間に価値観のズレが生じたことから離婚を決意。37年間連れ添ったパートナーとの別れでしたが、報道やブログでは互いを責め合う様子はなく、冷静な対処が印象的でした。なお、孫も誕生しており、祖母としての表情もたびたび見せています。

さらに2025年4月25日には、元俳優で『仮面ライダーアマゾン』の主人公・山本大介を演じた岡崎徹さんとの年内結婚を発表し、大きな話題となりました。お互いに芸能界で長く活動してきた背景を持ち、年齢を重ねたうえでの再婚という点でも多くの人々に温かく迎えられています。SNSでも「静かに見守ってほしい」と語っており、その姿勢には芯の強さと成熟した大人の魅力が感じられます。

このように、女優としてスポットライトを浴びながらも、母として、妻として、人知れぬ葛藤と向き合ってきたことが伺えます。波瀾の結婚歴を赤裸々に語る姿勢からは、飾らない真摯な人柄が伝わってきます。スクリーン上では見られない“素顔のひし美ゆり子”を知る手がかりとして、家族にまつわるエピソードは非常に興味深いものといえるでしょう。

2-5.台北飯店と“アジアンタイペイ”の裏話

ひし美ゆり子さんの“もう一つの顔”として語られるのが、飲食店の経営に携わっていた時期の話です。女優業を離れていた期間、彼女は当時の夫とともに、中華・台湾料理店「アジアンタイペイ」を東京都調布市にて開業しました。

2005年頃から営業を始めたこの店は、ウルトラセブンのグッズが飾られた店内や、アットホームな雰囲気でファンから親しまれ、“アンヌ隊員の隠れ家”として知られていました。台湾料理を中心としたメニューは、味・ボリューム・価格のバランスに優れ、地元客にも愛される存在でした。

ひし美さん自身は2015年に現場を離れ、その後は夫が店舗運営を継続。しかし、2019年3月に閉店が決まりました。驚くべきことに、ひし美さんが閉店の事実を知ったのはその直前だったと語られており、長女と孫が来店したことをきっかけに久々に訪れた際、常連客から告げられたといいます。

現在は、調布市内に「台北飯店」という中華料理店が存在し、こちらは元夫が運営している店とされます。アジアンタイペイとは別の店舗ですが、料理の傾向や雰囲気には共通点もあり、ファンが立ち寄る“巡礼スポット”のような存在になっています。

飲食店の運営という活動は、華やかな芸能の世界とは異なる生活感に満ちた仕事です。女優としてのキャリアを持ちながらも、地に足のついた「生活者」としての選択をしていたことは、彼女の誠実で堅実な人柄を物語っているように感じられます。なお、アジアンタイペイおよび台北飯店は、いずれも元夫が関わる事業であり、現在のひし美さん自身は運営に携わっていません

2-6.引退と復活を繰り返した独自の女優人生

女優としてのひし美ゆり子さんは、常に“表舞台に立ち続けてきた”というよりも、“必要なときに戻ってくる”タイプの存在でした。引退と復帰を繰り返しながらも、どのタイミングでもファンの記憶に鮮やかに残る演技を見せてきた点に、彼女ならではのキャリアの在り方が見て取れます。

最初の転機は1972年、東宝との契約終了のタイミングでした。当時の彼女は「もう女優はやらない」と決意しており、OLとしての就職も考えていたと語っています。ところが、意図せずして流出してしまった写真がきっかけとなり、逆に女優としての出演依頼が殺到。そこから東映の作品へと軸足を移し、アクションや時代劇、ポルノ時代劇にまで出演を果たします。

その後、家庭を優先して活動を休止していた時期もありますが、80年代後半にビデオ文化と共に“アンヌブーム”が再燃。若い世代のファンがサインを求めて店を訪れたことをきっかけに、再び表舞台に姿を見せるようになります。

とくに話題を集めたのが、2007年に公開された押井守監督のオムニバス映画『真・女立喰師列伝』への主演です。このとき、ひし美さんはすでに59歳。それでも堂々たる演技と身体表現を披露し、多くの映画ファンを驚かせました。まさに“円熟の復帰”といえる出来事でした。

ここからもわかるように、ひし美さんは決して“売れ続けること”を最優先にしてきたわけではありません。むしろ、生活や家族とのバランスを大切にしながら、自分の意志で仕事を選んできたタイプの女優です。この姿勢こそが、業界関係者やファンからの長年にわたる信頼につながっているのではないでしょうか。

3.ひし美ゆり子はかわいい!再評価される理由とは

この記事のまとめです。

✔︎ ウルトラセブンのアンヌ隊員役で一躍人気者となった
✔︎ 理知的で優しさあふれるキャラクターが共感を呼んだ
✔︎ 改名とともに女優としての存在感が確立された
✔︎ セミヌード写真流出が女優人生の転機になった
✔︎ ロマンポルノを断るなど表現の線引きにこだわった
✔︎ 大島渚監督から直接オファーを受けるほど評価された
✔︎ 中村倫也の発言で若い世代にも認知が広がった
✔︎ 黒柳徹子と間違われた写真がSNSで話題になった
✔︎ 写真集の再販が昭和の記憶とともに注目された
✔︎ Xやインスタでの丁寧なファン対応が信頼を集めた
✔︎ サイン会での人柄が“会えるレジェンド”として語られる
✔︎ 5chでも高評価を受け、世代を越えて語られている
✔︎ 結婚・離婚・再婚を経て現在も人生を更新し続けている
✔︎ 飲食店経営に携わり、地元とのつながりを大切にしてきた
✔︎ 必要なときに戻るスタンスが唯一無二の女優人生を形成した

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この記事を書いた人

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\ ブログ管理人の「TAKU」です /

50代後半、ブログ運営とWebライティングに取り組んでいます。
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