ザ・ドローンズというバンドをご存知でしょうか。
彼らはU.K.パンクが爆発的な盛り上がりを見せた黎明期、特に活気に満ちたマンチェスターのパンクシーンにおいて、非常に重要な役割を果たしたバンドです。
デビュー作である「Temptations of a White Collar Worker EP」や、オリジナルラインナップでの唯一のアルバム「ドローンズの誘惑(Further Temptations)」、そして代表曲の「Bone Idol」は、今なお多くのパンクファンから高く評価されています。
ロンドンの伝説的なロキシー・クラブでの活動や、BBCに残された貴重なジョン・ピール・セッションの音源、さらにシーンの熱気を伝えるパンクロック・コンピレーションへの参加は、彼らの物語を語る上で欠かすことができません。
この記事では、バンドの中心人物であったボーカルのMJ Droneにも触れながら、ザ・ドローンズの結成から現在に至るまでの歴史と、音楽シーンに残した功績を詳しく解説していきます。
この記事で分かること
- ザ・ドローンズの結成から全盛期までの歴史
- 主要なディスコグラフィーと代表曲の詳細な解説
- バンドが当時の音楽シーンに与えた具体的な影響
- メンバーの変遷とバンドの現在
1. ザ・ドローンズ:マンチェスター・パンクシーンの先駆者
- イギリスのパンクロック黎明期を駆け抜けた存在
- 活気あるマンチェスター・パンクシーンの中心的役割
- 聖地ロキシー・クラブでの精力的なライブ活動
- デビュー作「Temptations of a White Collar Worker EP」
- 唯一のアルバムとなった「ドローンズの誘惑(Further Temptations)」
1-1. イギリスのパンクロック黎明期を駆け抜けた存在

ザ・ドローンズは、1970年代半ばにイギリスで巻き起こったパンク・ロックムーブメントの、まさに第一波を象徴するバンドの一つです。
セックス・ピストルズやザ・クラッシュがロンドンでシーンを席巻していた頃、彼らは北部の工業都市マンチェスターからその狼煙を上げ、イギリス全土にその名を轟かせました。
当時のイギリスは、オイルショック後の経済停滞や失業率の増加といった社会問題を抱え、若者たちの間には将来への不安と既存の体制への不満が渦巻いていました。
パンク・ロックは、そうした鬱屈したエネルギーの完璧な捌け口として、ストリートから自然発生的に生まれてきたのです。
ザ・ドローンズのサウンドは、そうした時代の空気を敏感に反映した、スリーコードを基本とするシンプルかつ攻撃的なものでした。
彼らの音楽は、技巧的な洗練さよりも、「今、ここで鳴らさなければならない」という初期衝動の激しさを最優先しており、これこそが1977年のパンク・ロックが持っていた本質的な魅力だと言えます。
パンクの本質とは
彼らの音楽は、テクニックや理論ではなく、怒りや欲求不満といった感情を直接的に叩きつけるものでした。このストレートな表現こそが、多くの若者の心を掴んだのです。
多くのメディアやレコード会社がロンドンに集中する中で、地方都市であるマンチェスターから登場した彼らは、シーンにリアルな労働者階級の視点と多様性をもたらす、極めて重要な存在だったのです。
1-2. 活気あるマンチェスター・パンクシーンの中心的役割

ザ・ドローンズの物語を語る上で、彼らの故郷であるマンチェスターの音楽シーンは切り離せません。
全ての始まりは、1976年にセックス・ピストルズがマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールで行った二度の伝説的なライブでした。
このギグは、観客として訪れていた地元の若者たちに「自分たちでもできる」という強烈な衝撃とインスピレーションを与え、マンチェスター中に無数のバンドが生まれる直接的なきっかけとなりました。
この創造の渦の中から、当時のマンチェスター・シーンを代表する「ビッグ・スリー」と呼ばれる3つのバンドが登場します。
それが、ポップな才能を爆発させたバズコックス、グラムロックのきらびやかさをパンクに持ち込んだスローター・アンド・ザ・ドッグス、そしてザ・ドローンズでした。
彼らは同じステージに立つことも多く、互いに激しいライバル意識を燃やしながら、ロンドンとは異なる独自のパンク・サウンドとコミュニティを形成していったのです。



補足:ビッグ・スリーの個性
バズコックスが知的で捻くれたポップなメロディを武器にしたのに対し、スローター・アンド・ザ・ドッグスはミック・ロンソン直系のグラムロックの影響を受けた華やかさとアンセムを持ち味としていました。その中でザ・ドローンズは、最もストレートで生々しい、R&Bのルーツを感じさせる純粋なパンク・ロックを体現していました。
元々、彼らはロックスライドというパブ・ロックバンドとして活動していましたが、ピストルズのギグを体験し、時代の変化を肌で感じ取ります。
そして、バンド名と音楽性をパンクへと大胆に転換させたのです。
この経緯は、純粋培養のパンクバンドから「時流に乗っただけ」と揶揄されることもありましたが、むしろ彼らがプロとして生き残るために下した現実的で正直な決断であり、当時のシーンの急進的な変化を象徴するエピソードと言えるでしょう。
1-3. 聖地ロキシー・クラブでの精力的なライブ活動

マンチェスターで確固たる地位を築いたザ・ドローンズでしたが、彼らは故郷に安住することを選びませんでした。
より大きな成功と刺激を求め、シーンの中心地であったロンドンへと拠点を移すという、当時としては大胆な決断を下します。
ロンドンで彼らが主戦場としたのが、パンクの聖地としてあまりにも名高い「ロキシー・クラブ」でした。
1977年の初頭、ザ・ドローンズはこの伝説的なクラブのステージに立ち、精力的なライブ活動を展開します。
1月にはザ・ヴァイブレーターズのサポートを務め、翌2月には早くも単独でのヘッドライナー公演を成功させ、3月にはX-レイ・スペックスやチェルシーといったシーンの重要バンドとも共演を果たしています。
彼らはロキシーの常連として、その名をロンドンのパンクスにも知らしめていきました。
ロキシー・クラブは、わずか100日間という短い期間しか営業していませんでしたが、ジェネレーションX、ザ・ジャム、ザ・ポリスなど、後に世界的に有名になる数多くのバンドが出演した、まさに伝説の場所です。
ここで演奏したという事実は、バンドにとって最高の勲章でした。
このロンドンでの精力的な活動、そしてこの年の後半に行われた、当時既にスターダムにのし上がっていたザ・ストラングラーズとの大規模な全国ツアーによって、ザ・ドローンズの名前は地方の一バンドではなく、イギリス全土に知れ渡るナショナルな存在へと成長を遂げたのです。

1-4. デビュー作「Temptations of a White Collar Worker EP」
ザ・ドローンズがその名をシーンに刻み込む決定的なきっかけとなったのが、1977年5月にリリースされたデビュー作、4曲入りEP「Temptations of a White Collar Worker」です。
このEPは、大手レコード会社の手を借りず、バンドのローディーであったデイヴ・ベントレーが立ち上げたインディーズレーベル「O.H.M.S.」からリリースされました。
これは、「自分たちの音楽は自分たちで作り、届ける」というDIY(Do It Yourself)精神の塊のような作品であり、当時のパンク・ムーブメントの理念を完璧に体現していました。
当時、新進気鋭の音楽評論家であり、彼らのマネージャーも務めていたポール・モーリーがプロデュースを手掛け、インディーズとしては異例の12,000枚以上を売り上げる大ヒットを記録します。
収録された楽曲は、どれも若々しいエネルギーと社会への不満、そして労働者階級の若者の日常を切り取ったリアリティに満ちあふれています。
特にオープニングを飾り、後に重要コンピレーション『Streets』にも収録される「Lookalikes」は、彼らの代表曲の一つとして知られています。
EP収録曲とテーマ
- Lookalikes:個性のない人々を皮肉ったパンク・アンセム
- Corgi Crap:英国王室への痛烈な批判を込めた一曲
- Hard on Me:理不尽な状況への不満をストレートに歌う
- You’ll Lose:警告に満ちた攻撃的なナンバー
このEPの成功は、単なるインディーズヒットに留まりませんでした。
それは、ザ・ドローンズが次のステップ、つまりフルアルバムの制作へと進むための大きな足掛かりとなり、彼らがシーンの最前線に立つ資格があることを証明する出来事だったのです。
1-5. 唯一のアルバムとなった「ドローンズの誘惑(Further Temptations)」

EPの成功で得た勢いに乗り、ザ・ドローンズは1977年12月、クラシック・ラインナップによる唯一のスタジオ・アルバム『ドローンズの誘惑(Further Temptations)』をリリースします。
このアルバムは、77年パンクを代表する最重要作の一つとして、今なお多くのファンや評論家から高く評価され続けています。
レコーディングはロンドンのCBSスタジオで行われ、プロデューサーにはザ・クラッシュの衝撃的なデビュー作でエンジニアを務めたサイモン・ハンフリーが起用されました。
彼の的確な仕事により、バンドの持ち味である生々しく荒々しいエネルギーは一切損なわれることなく、よりタイトでソリッドな、プロフェッショナル・サウンドが実現したのです。
アルバムには、既にシングルとして高い評価を得ていた「Bone Idol」、反王室ソング「Corgi Crap」のアルバムバージョン、そしてライブのオープニングを飾ることも多かった人気曲「Persecution Complex」など、彼らの魅力が凝縮された全13曲が収録されています。
アルバム『Further Temptations』収録曲
| Side A | Side B |
|---|---|
| 1. Persecution Complex | 1. Lookalikes |
| 2. Bone Idol | 2. The Underdog |
| 3. Movement | 3. No More Time |
| 4. Be My Baby | 4. City Drones |
| 5. Corgi Crap | 5. Just Want To Be Myself |
| 6. Sad So Sad | 6. Lift Off the Bans |
| 7. The Change |
注意点:キャリアを左右した不運
『Further Temptations』は作品として非常に高い評価を得ましたが、残念ながら大きな商業的成功には結びつきませんでした。その最大の理由は、所属レーベルのValer Recordsが、アルバムのリリース直後に財政難に陥り、事実上倒産してしまったことでした。これにより、プロモーション活動は停止し、シングルカットが予定されていた「Be My Baby」もごく少数が出回ったのみで発売中止に追い込まれます。この不運がなければ、バンドのその後の運命は大きく変わっていたかもしれません。
しかし、そうした不運な経緯や商業的な結果とは無関係に、このアルバムが持つ切迫感や焦燥感、そして純粋なロックンロールのエネルギーは、時代を超えて聴く者の胸を打ちます。
2. ザ・ドローンズが音楽史に残した偉大な功績
- 代表曲であり不朽の名作でもあるBone Idol
- 時代を刻んだパンク ロック コンピレーション
- 伝説として語り継がれるジョン・ピール・セッション
- バンドの象徴であったボーカルMJ Drone
2-1. 代表曲であり不朽の名作でもある「Bone Idol」
ザ・ドローンズの数ある楽曲の中で、最も有名で後世に大きな影響を与えたのが、1977年10月にアルバムからの先行シングルとしてリリースされた「Bone Idol」です。
この曲は、単なるバンドの代表曲であるに留まらず、70年代UKパンクという時代を象徴する、不滅のアンセムの一つとして知られています。
「Bone Idol」の魅力は、何と言ってもそのシンプルかつ強力な楽曲構成にあります。
一度聴いたら忘れられないキャッチーなメロディ、性急な8ビートに乗せて疾走するカッティング・ギターリフ、そしてフックのあるコーラス。3分にも満たない短い演奏時間の中に、パンク・ロックの衝動とロックンロールの普遍的な楽しさが見事に詰め込まれています。
歌詞はメディアや大衆に作られた空っぽのアイドルを痛烈に皮肉っており、当時の世相を鋭く切り取っていました。
この曲の評価は非常に高く、その普遍的な魅力は時を経ても色褪せることがありませんでした。
後年、イギリスの権威ある音楽雑誌『Mojo』が2001年に企画した「100 Punk Scorchers (ベスト・パンク・ロック・シングル100選)」にも選出されており、専門家からも歴史的な評価が確立されています。
また、カオスU.K.といった後続のハードコア・パンクバンドにもカバーされており、彼らの影響力の大きさを明確に物語っています。
2-2. 時代を刻んだパンクロック・コンピレーション
ザ・ドローンズの功績と当時のシーンにおける重要性を理解する上で、彼らが参加したパンク・ロックのコンピレーション・アルバムの存在も忘れてはなりません。
インターネットがなかった時代、こうしたコンピレーションは、新しいバンドを知るための貴重な情報源であり、シーン全体の動向を伝えるスナップショットとしての役割を果たしていました。
彼らが参加した特に重要なコンピレーションは以下の2枚です。
Streets (1977年)
Beggars Banquet Recordsからリリースされた、初期UKパンクシーンを記録した歴史的価値の高い一枚です。
ザ・ドローンズは、デビューEPから「Lookalikes」を提供しています。
このアルバムには、イーター、シャム69、そして後に大きな成功を収めるザ・スケイドなど、黎明期の重要バンドが多数収録されており、当時のロンドンを中心としたシーンの熱気を生々しくパッケージした作品として非常に価値が高いです。
Short Circuit: Live at the Electric Circus (1978年)
もう一枚は、マンチェスターの伝説的なライブハウス「エレクトリック・サーカス」が閉鎖される際に行われた、お別れギグの模様を収録したライブ盤です。
こちらには、ザ・ドローンズの「Persecution Complex」の貴重なライブ音源が収録されています。このアルバムが歴史的に重要なのは、ジョイ・ディヴィジョン(当時はワルシャワ名義)、ザ・フォール、バズコックスといった、後のポストパンクやオルタナティブ・ロックシーンを牽引することになるバンドの、極めて初期のライブ音源が聴ける点です。
これらの重要コンピレーションに、シーンを代表するバンドとして名を連ねていたという事実は、ザ・ドローンズが当時のパンク・ムーブメントにおいて中心的な役割を担っていたことの何よりの証明と言えるでしょう。
2-3. 伝説として語り継がれるジョン・ピール・セッション
1977年、ザ・ドローンズはまさにキャリアの頂点にいました。その事実を証明するもう一つの重要な出来事が、英国営放送BBCの名物音楽番組、ジョン・ピール・セッションへの出演です。
故ジョン・ピールは、商業的な成功とは無関係に、自らの耳だけを信じて新しい才能をいち早く発掘・紹介し続けたことで知られる伝説的なDJです。
彼の番組でセッションを行うことは、当時のイギリスの若手バンドにとって最高の栄誉であり、本格的なブレイクへの登竜門と見なされていました。
ザ・ドローンズは1977年12月6日にセッションを録音し、その一週間後である12月13日にイギリス全土で放送されています。
この時に演奏されたのは、彼らの音楽的背景の豊かさを示す、示唆に富んだ選曲の4曲でした。
| 曲順 | 楽曲タイトル | 備考 |
|---|---|---|
| 1 | Be My Baby | 60年代のガールズ・ポップグループ、ザ・ロネッツの歴史的名曲のカバー |
| 2 | The Change | アルバム『Further Temptations』収録曲 |
| 3 | Clique | 当時未発表だった楽曲 |
| 4 | Movement | アルバム『Further Temptations』収録曲 |
このセッションで残された音源は、バンドが最も勢いに乗り、演奏にも自信がみなぎっていた時期のパフォーマンスを捉えた、極めて貴重な記録です。
特に、アメリカのガールズ・ポップの名曲「Be My Baby」を、彼らならではの性急なパンク・アレンジでカバーしている点は非常に興味深く、彼らが単なるスリーコードのパンクバンドではなく、ロックンロールの豊かな歴史の上に立ったバンドであることを示しています。
2-4. バンドの象徴であったボーカルMJ Drone
ザ・ドローンズのフロントマンであり、その独特のボーカルとギターでバンドのサウンドを牽引し続けたのが、M.J. Drone(本名:Michael Howells)です。
彼は、実の兄弟であり、バンドの強力なエンジンであったドラマーのPete “Purrfect” Howellsと共に、結成から解散、そして再結成後もバンドの中心人物であり続けました。
彼のボーカルは、いわゆる「上手い」タイプではありません。
しかし、パンク・ロックに求められる切迫感、焦燥感、そして社会への不満といった感情表現においては、他の追随を許さない魅力を持っていました。
彼の吐き捨てるような、それでいてどこか哀愁を帯びた歌声があったからこそ、ザ・ドローンズの楽曲は時代を超えて普遍的なリアリティを保ち続けているのです。
バンドはレーベル倒産の不運などもあり、1982年に一度解散します。
しかし、90年代に入りパンク・リバイバルの機運が高まると、M.J. Droneを中心に再結成を果たします。
1996年にはイギリスのパンクフェスティバル「Holidays In The Sun」に出演、そして1999年には実に22年ぶりとなるスタジオ・アルバム『Sorted』をリリースし、日本でのライブツアーも敢行しました。
悲しい知らせと、受け継がれる意志
2-5. 今こそ聴くべきザ・ドローンズの魅力とは
- ザ・ドローンズは70年代イギリスのパンクバンド
- マンチェスターの初期パンクシーンを代表する存在
- バズコックス、スローター・アンド・ザ・ドッグスと共に「ビッグ・スリー」と呼ばれた
- 元々はロックスライドというパブ・ロックバンドだった
- 1976年のセックス・ピストルズのライブを機にパンクへ転身
- 活動の拠点をロンドンに移しロキシー・クラブで活躍
- デビュー作はDIY精神あふれるEP「Temptations of a White Collar Worker」
- 唯一のオリジナルアルバムは名盤「Further Temptations」
- 代表曲「Bone Idol」はパンクのアンセムとして名高い
- 重要コンピ「Streets」や「Short Circuit」に参加
- BBCの伝説的番組ジョン・ピール・セッションに出演
- バンドの中心はボーカルのM.J. Droneとその弟でドラムのPete Howells
- M.J. Droneは2013年に、Pete Howellsは2019年に逝去
- 現在はオリジナル・ベーシストのウィスパを中心に活動を継続中
- 彼らの音楽は77年パンクの純粋な衝動を体現している




【人生の初期衝動】
「彼らは体制を拒否した。しかし、現実の生活は続く。『反体制』を貫くための現実的な財産形成はこちらで確認できます。」



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