メロディック・パンクのレジェンドとして40年以上シーンの頂点に君臨したNOFX。
彼らの解散を受け、「nofx アルバム おすすめ」と検索し、膨大な作品群からどれを聴くべきか悩んでいる方も多いのではないでしょうか。
本記事では、アルバムの順番や代表曲といった基本情報から、バンド名の由来であるNOFXとはどういう意味ですか?という疑問、さらには名曲Linoleumの魅力、ファンの間で人気のTシャツのデザインについても掘り下げます。
また、日本のパンクシーンとの繋がり、特にハイスタとの関係は?という点や、2024年に行われた最後の来日公演とラストライブの様子、ファンが最も知りたいであろう解散理由、そして彼らが演奏した最後の曲は何ですか?という疑問まで、NOFXの全てを網羅的に解説します。
この記事でわかること
- NOFXのバンド名の由来と40年以上にわたる歴史
- 初心者から上級者まで楽しめるおすすめアルバム5選
- Hi-STANDARDとの関係性や最後の来日公演の詳細
- ラスベガスでの不適切発言を含むバンドの解散理由
1. NOFXのアルバムおすすめ5選の前提知識
- NOFXとはどういう意味ですか?
- バンドの歴史とアルバムの順番
- 代表曲で知るNOFXの魅力
- なぜLinoleumは名曲なのか?
- 日本限定?ハイスタとの関係は?
1-1. NOFXとはどういう意味ですか?
NOFX(ノーエフエックス)というバンド名は、しばしばその由来についてファンの間で話題に上ります。
この名前には、バンドの音楽的スタンスと哲学が色濃く反映されています。
単純な響きだけでなく、彼らのパンク・アティチュードそのものを示しているのです。
最も有力な説は、1980年代初頭に活動していたボストンのハードコア・パンクバンド「Negative FX」への敬意を込めたものだというものです。
Negative FXは非常に短命なバンドでしたが、その刹那的で過激なスタイルは、結成当初のファット・マイク(ベース・ボーカル)らに強い印象を与えました。
彼らへのリスペクトが、バンド名の直接的なインスピレーションとなったのです。
もう一つの説として、「No Effects(エフェクトなし)」という意味が込められているとも言われています。
これは、1980年代の音楽シーン、特にロックやポップスで流行していたリバーブやディレイ、シンセサイザーといった過剰な音響効果(エフェクト)に対するアンチテーゼです。
ごまかしのない、生々しくストレートなパンク・ロックを鳴らすというバンドの決意表明であったと解釈されています。
実際、彼らの初期のサウンドは非常に荒々しく、最小限の機材で録音されたような生々しさが特徴でした。
補足:バンド名の決定
バンドの自伝『NOFX: The Hepatitis Bathtub and Other Stories(邦題: NOFX自伝 ヘパタイティス・バスタブ)』によれば、結成当初は「The B.G. Ramblers」など様々なバンド名が候補に挙がりましたが、最終的に「NO-FX」(当時はハイフン入り)が選ばれたとされています。シンプルな響きと、前述のような複数の意味合いを持たせられるパンクらしいひねくれた点が決め手となったようです。
このように、バンド名自体が彼らのDIY精神と音楽的ルーツ、そして既存の音楽シーンへの反骨精神を象徴しており、40年以上にわたる活動の原点となっています。
1-2. バンドの歴史とアルバムの順番
1983年にロサンゼルスで結成されたNOFXは、40年以上にわたりパンクシーンに多大な影響を与え続けてきました。
ここでは、彼らの主要な歴史的転換点とスタジオ・アルバムを時系列で紹介します。
彼らの歴史は、90年代パンク・リバイバルの裏側で、独自の道を歩み続けたインディペンデント精神の歴史でもあります。
初期〜Epitaph時代(1983年〜1999年)
結成当初はメンバーチェンジを繰り返しながら、LAのハードコア・パンクシーンで活動。
1988年に1stアルバム『Liberal Animation』をリリースします。
この時期はまだサウンドも荒削りでしたが、彼らのユーモアとスピード感の萌芽はすでに現れていました。
大きな転機となったのは、Bad Religionのブレット・ガーヴィッツが主宰するレーベル「Epitaph Records」との契約です。
1989年の2nd『S&M Airlines』、1991年の3rd『Ribbed』をリリース。
そしてこの時期、1991年にリードギターとトランペットを担当するエル・ヘフェが加入します。
彼の加入により、バンドは単なるハードコア・パンクから、スカやレゲエの要素も取り入れた音楽的に多彩なサウンドへと進化を遂げ、ファット・マイク、エリック・メルヴィン、エリック・サンディン(スメリー)という黄金期のラインナップが完成します。
1992年の4th『White Trash, Two Heebs and a Bean』でそのサウンドを確立させると、1994年に歴史的名盤と名高い5th『Punk in Drublic』をリリース。
折しもGreen DayやThe Offspringらによるパンク・リバイバルが全盛期を迎える中、このアルバムはNOFXにとって最大のヒットとなり、最終的にゴールドディスクを獲得する(RIAA公式サイト)大ヒットとなりました。
しかし、彼らはMTVでのMV放送を拒否するなど、メジャーシーンとは一線を画すDIY精神を貫きます。
その後も『Heavy Petting Zoo』(1996年)、『So Long and Thanks for All the Shoes』(1997年)とコンスタントに名盤を生み出し、1999年には18分を超える大作EP『The Decline』を発表。
その圧倒的な構成力と社会批評性で、彼らの音楽的な評価を決定的なものにしました。
Fat Wreck Chords時代〜解散(2000年〜2024年)
2000年、バンドはEpitaphを離れ、ファット・マイクが主宰する自身のレーベル「Fat Wreck Chords」へ完全に移籍。
8th『Pump Up the Valuum』をリリースします。
これは、彼らのインディペンデント精神の完全な確立を意味しました。
2003年の9th『The War on Errorism』では、当時のブッシュ政権を痛烈に批判する政治的な色合いを強めます。
これは単なるアルバムリリースに留まらず、コンピレーション・アルバムのリリースや全米ツアー、有権者登録の呼びかけなどを含む「Rock Against Bush」キャンペーンへと発展し、NOFXはパンクシーンにおける政治的オピニオンリーダーとしての側面も強く打ち出しました。
その後も『Wolves in Wolves’ Clothing』(2006年)、『Coaster』(2009年)、『Self Entitled』(2012年)、『First Ditch Effort』(2016年)と、ベテランの域に達してもなお実験と進化を続けます。
特に後期の作品では、ファット・マイク自身の内面や依存症との闘いを赤裸々に綴った、よりパーソナルな楽曲も増えていきました。
2021年には『Single Album』、そして2022年にキャリア最後となる15thアルバム『Double Album』をリリース。
40周年という節目を迎え、2024年10月のラストライブをもって、41年間に渡る栄光の活動に終止符を打ちました。
スタジオ・アルバム一覧(時系列順)
- Liberal Animation (1988)
- S&M Airlines (1989)
- Ribbed (1991)
- White Trash, Two Heebs and a Bean (1992)
- Punk in Drublic (1994) – 最大ヒット作・ゴールドディスク認定
- Heavy Petting Zoo (1996)
- So Long and Thanks for All the Shoes (1997) – 日本での人気も高い名盤
- Pump Up the Valuum (2000)
- The War on Errorism (2003) – 政治色を強めた転換点
- Wolves in Wolves’ Clothing (2006)
- Coaster (2009)
- Self Entitled (2012)
- First Ditch Effort (2016)
- Single Album (2021)
- Double Album (2022) – 最終作
1-3. 代表曲で知るNOFXの魅力
NOFXの魅力は、高速なビート(いわゆるツービート)とキャッチーなメロディ、そして皮肉(シニシズム)とユーモアに満ちた歌詞の絶妙なバランスにあります。
ここでは彼らのキャリアを代表する楽曲をいくつか紹介します。
これらの曲は、彼らが単なるおふざけバンドではなく、優れたソングライター集団であることを証明しています。
- Linoleum (『Punk in Drublic』収録) 彼らの代名詞であり、パンク史に残るアンセムです。詳細は次の見出しで解説しますが、この曲が持つ哀愁と疾走感は唯一無二です。
- Don’t Call Me White (『Punk in Drublic』収録) 「俺を白人と呼ぶな」という挑発的なタイトルが印象的。単なる人種差別反対ではなく、「白人」というレッテル自体への抵抗を歌っており、アイデンティティやカテゴライズに対する彼らなりの批評が込められています。ライブでも常にシンガロングが起こる人気曲です。
- Bob (『White Trash, Two Heebs and a Bean』収録) エル・ヘフェのトランペットが印象的なスカ・パンク要素を取り入れた楽曲。アルコール依存症で落ちぶれてしまった旧友「ボブ」の物語を、哀愁とユーモアを交えて描く、ストーリーテリングの巧みさが光ります。
- Stickin’ in My Eye (『White Trash, Two Heebs and a Bean』収録) イントロの攻撃的なギターリフからエンディングまで一気に駆け抜ける、初期NOFXのスピード感とメロディセンスが凝縮された一曲。90年代メロディック・ハードコアの完成形の一つと言えます。
- The Brews (『Punk in Drublic』収録) ファット・マイク自身のルーツであるユダヤ人(Hebrewsが訛ってBrews)としてのアイデンティティを、ハードコアなサウンドに乗せて歌った異色のナンバー。宗教やルーツさえもジョークの対象にする、彼ららしい自己パロディ精神に満ちています。
- Eat the Meek (『So Long and Thanks for All the Shoes』収録) 「弱者(The Meek)を食らえ」という聖書の一節をもじった逆説的なタイトルで、資本主義社会や偽善的な慈善活動を風刺する、彼ららしいひねくれたポップさが魅力の楽曲です。
これらの曲からわかるように、NOFXは単なるスピード重視のバンドではありません。
スカ、レゲエ、ハードコアといった多様な音楽的要素を自在に取り入れながら、独自の「泣きメロ(哀愁のあるメロディ)」と「ひねくれた歌詞(社会風刺とブラックユーモア)」というスタイルを確立していったのです。
1-4. なぜLinoleumは名曲なのか?
1994年リリースのアルバム『Punk in Drublic』の1曲目を飾る「Linoleum」は、なぜこれほどまでにパンクファンから愛され、名曲として語り継がれているのでしょうか。
この曲は、Spotifyで最も再生されているNOFXの楽曲であり続けています。
第一の理由は、その圧倒的な疾走感と琴線に触れるメロディにあります。
スメリーの高速かつ正確無比なドラムビートと、ファット・マイクのどこか諦念を帯びた哀愁漂うボーカルライン、そして一度聴いたら忘れられないギターリフは、聴く者の感情を瞬時に掴みます。
「これぞメロディック・パンク」と感じさせる完璧な導入です。
第二に、独特な曲構成が挙げられます。
驚くべきことに、この曲にはポピュラー音楽における常識である「サビ(コーラス)」が明確に存在しません。
印象的なイントロから始まり、Aメロ、Bメロのようなパートが繰り返され、熱量を高めていく構成でありながら、全てのパートがキャッチーであるため、聴き手を一切飽きさせません。
この型破りな構造こそが、NOFXのソングライティング能力の高さを示しています。
さらに、歌詞が持つ普遍的な共感性も重要です。
歌詞は「疎外感」や「無力感」、自分の居場所のなさを歌っており、その内省的な内容は、サウンドの持つ外向的なエネルギーと強烈なコントラストを生み出しています。
このギャップこそが、多くのパンクファンの「やり場のない感情」とシンクロし、強い共感を呼びました。
「Linoleum」が特別な理由
- ライブでの一体感: ライブではイントロのリフが鳴った瞬間にフロアが爆発的な盛り上がりを見せ、観客全員によるシンガロングが起こる「アンセム」となっています。時にはバンドが演奏を止めても、観客だけで歌い続ける光景が見られます。
- シーンへの影響: 90年代のパンク・リバイバルを象徴する一曲であり、この曲に影響を受けてギターやベースを手にし、パンクバンドを始めたというミュージシャンは世界中に数え切れないほど存在します。
- 変わらない人気: リリースから30年以上が経過した現在でも、パンクの入門曲として、またバンドの代表曲として世代を超えて聴き継がれています。
つまり、「Linoleum」はNOFXの音楽的特徴であるスピード、哀愁、ひねくれたポップセンス、そして型破りなソングライティングが奇跡的なバランスで融合した、パンク史に残る不朽の名曲と言えるでしょう。
1-5. 日本限定?ハイスタの関係は?
NOFXと日本のパンクバンド「Hi-STANDARD(ハイスタンダード)」の関係は非常に深く、単なる海外バンドと日本のバンドという関係性を超えた「盟友」であり、日本のパンクシーンにおいて特別な意味を持っています。
その関係性の始まりは1990年代半ばに遡ります。
当時、NOFXのファット・マイクは自身のレーベル「Fat Wreck Chords」を運営していました。
彼はHi-STANDARDが自主制作したデモテープを聴き、そのメロディセンスとエネルギーに衝撃を受け、即座に才能に惚れ込みます。
そして、Hi-STANDARDのアルバムをFat Wreck Chordsから全米リリースすることを決定します。
これが、Hi-STANDARDが世界的に認知される大きなきっかけとなりました。
当時、日本のバンドがアメリカの有力なインディーズレーベルから大々的にリリースされることは極めて異例でした。
ファット・マイクは、ハイスタにとって最大の恩人であり、世界への扉を開いた功労者であることは間違いありません。
レーベルメイトとしての絆
Hi-STANDARDはFat Wreck Chordsの看板バンドの一つとして、NOFX本人やLagwagon、No Use for a Nameといったレーベルメイトと共に90年代のメロディック・パンクシーンを世界的に牽引しました。彼らの関係は、単なるビジネスパートナーではなく、共にシーンを作り上げた「戦友」でした。
この深い絆は、NOFXが解散を迎える2024年まで続きました。
NOFXのキャリア最後となった日本ツアー「NOFX THE FINAL JAPAN TOUR」(2024年3月)では、全公演のスペシャルゲストとしてHi-STANDARDが帯同するという、日本のファンにとってはこれ以上ない形が実現しました。
これは、単なる豪華な共演であるだけでなく、40年以上のキャリアを終えるNOFXが、自分たちを慕い、共に歩んできた日本の最大の友人であるHi-STANDARDに対して、最大級のリスペクトと感謝を示した、感動的な出来事として日本のパンク史に刻まれています。
2. NOFXのアルバム おすすめとバンドの終焉
- NOFXのおすすめアルバム5選【初心者から上級者まで】
- NOFXのTシャツが人気の理由
- 最後の来日公演まとめ
- 衝撃の解散理由とは?
- ラストライブの概要
- 最後の曲は何ですか?
- まとめ:NOFX アルバム おすすめ
2-1. NOFXのおすすめアルバム5選【初心者から上級者まで】
40年以上のキャリアで15枚のスタジオ・アルバムをリリースしてきたNOFX。
その膨大な作品群から「どれから聴けばいいの?」と迷うのは当然です。
ここでは、NOFXの核心に触れるために必聴の5枚を、初心者から上級者まで楽しめるように厳選して紹介します。
1. まずはこれを聴け!90年代メロコアの金字塔『Punk in Drublic』(1994)
初心者におすすめ
2. サウンドの完成形を知るなら『White Trash, Two Heebs and a Bean』(1992)
初心者〜中級者におすすめ
3. ファット・マイクお気に入り!スピードと哀愁の『So Long and Thanks for All the Shoes』(1997)
中級者におすすめ
4. 政治的パンクの側面を知る『The War on Errorism』(2003)
中級者〜上級者におすすめ
5. パンクの常識を覆した18分の大作『The Decline』(1999)
上級者におすすめ

2-2. NOFXのTシャツが人気の理由
NOFXのバンドTシャツは、単なるマーチャンダイズを超え、パンクファッションの定番アイテムとして世界中で愛されています。
その人気には、彼らの音楽性と同様、一筋縄ではいかない理由があります。
1. アイコニックなバンドロゴ
最も象徴的なのは、太字の「FAT」ロゴ(通称:FATロゴ)です。
これは厳密にはバンド名(NOFX)そのものではなく、ファット・マイクが主宰するレーベル「Fat Wreck Chords」のロゴであり、彼自身をも揶揄したデザインですが、NOFXのTシャツとして広く認知されています。
このシンプルかつ力強いデザインは、一目で彼らのファンであることを示す強力なブランド・アイデンティティとなっています。
もちろん、シンプルな「NOFX」のブロック体ロゴも根強い人気があり、どんな服装にも合わせやすいデザイン性が特徴です。
2. ユーモアと皮肉に満ちたデザイン
彼らの音楽性と同様に、Tシャツのデザインも政治的な風刺、ブラックユーモア、そして下品なジョークに満ちています。
例えば、有名な『Punk in Drublic』のジャケットアートワーク(S&Mとドミノを組み合わせたもの)や、『Heavy Petting Zoo』の物議を醸したアートワーク、さらには有名企業のロゴを巧妙にパロディ化したデザインなど、単なるバンドTシャツを超えたメッセージ性を持っています。
これらは、他のバンドTシャツが持つ「クールさ」とは一線を画す、「挑発的」な魅力を持っています。
3. 豊富なデザインバリエーションと希少性
40年以上のキャリアの中で、膨大な数のアルバム、EP、そしてツアーTシャツがリリースされており、デザインのバリエーションが非常に豊富です。
特にツアー限定で販売されたデザインや、初期の希少なTシャツは、現在コレクターズアイテムとして高値で取引されることもあります。
ファンにとっては、自分のお気に入りの一枚を探し出す「宝探し」のような楽しみもあります。
NOFXのTシャツは、単にバンドのファンであることを示すだけでなく、体制への反骨精神やブラックユーモアのセンスを代弁するファッションアイテムとして、彼らの音楽と共にパンクキッズ(ファン)の心を掴み続けています。
2-3. 最後の来日公演まとめ
NOFXは2024年3月、41年にわたるキャリアの終焉を告げる解散ツアーの一環として、日本での最後の公演を行いました。これは日本のファンにとって、彼らの勇姿をライブで見届ける正真正銘、最後の機会となりました。
公演は、伝説的なフェスティバルの復活と、盟友との単独ツアーという、これ以上ないほど特別な形で実施されました。
1. PUNKSPRING 2024
2024年3月17日、千葉県の幕張メッセで開催された「PUNKSPRING 2024」(公式サイト)にヘッドライナーとして出演しました。
このフェスティバル自体が、NOFXの最後の来日公演のために数年ぶりに復活したものであり、主催者側の彼らに対する最大限のリスペクトが感じられる舞台となりました。
この日は、前述の通りHi-STANDARDも出演しており、盟友同士が同じフェスの舞台に立つ、歴史的な一日となりました。
2. NOFX THE FINAL JAPAN TOUR
フェス出演に先立ち、3月13日から15日にかけて、東名阪を巡る単独ツアーが開催されました。日程と会場は以下の通りです。
| 日付 | 会場 | スペシャルゲスト |
|---|---|---|
| 2024年3月13日 | 愛知・名古屋 DIAMOND HALL | Hi-STANDARD |
| 2024年3月14日 | 大阪・Zepp Osaka Bayside | Hi-STANDARD |
| 2024年3月15日 | 神奈川・横浜 Bay Hall | Hi-STANDARD |
全公演が即日ソールドアウトとなったこの単独ツアーの最大のトピックは、やはりHi-STANDARDが全日程のスペシャルゲストとして帯同したことです。
これは、日本のファンへの最高の贈り物であると同時に、4半世紀以上にわたる両バンドの深い絆を象徴する、涙なしには見られない奇跡のツアーでした。
セットリストもキャリアを総括するもので、往年の名曲から近年の曲まで惜しみなく披露され、日替わりの内容でファンを熱狂させました。
ステージ上でのリラックスした彼らの姿と、フロアからの熱いシンガロングが一体となり、日本のファンに盛大かつ感動的な別れを告げました。
2-4. 衝撃の解散理由とは?
40年以上にわたり第一線で活動してきたNOFXが解散(引退)を発表したことは、世界中のパンクファンに衝撃を与えました。
その理由は一つではなく、ファット・マイクが語るように、複数の要因が複雑に絡み合っています。
1. ラスベガス銃乱射事件を巡る不適切発言
解散の直接的な引き金の一つと広く見なされているのが、2018年にラスベガスで開催されたフェスティバルでの不適切発言です。
ステージ上でファット・マイクとエリック・メルヴィンが、前年(2017年)に同じラスベガスで起きた銃乱射事件(カントリーミュージックのフェスティバルが標的となり58名が犠牲となった大惨事)について、「少なくとも彼らはカントリーファンで、パンクロックファンではなかった」といった趣旨のブラックジョークを口にしました。(出典:BBC News)
この発言は、事件の深刻さも相まって即座に大炎上。
スポンサー契約を失い、NOFXは米国内でのフェスティバルやツアーから事実上「追放(banned)」される事態となりました。
発言の影響と心境の変化
この一件により、バンドはアメリカ国内での活動が著しく困難になりました。
ファット・マイクは後に「自分たちの国で嫌われていると感じた」「ステージで言いたいことが言えないなら、もうツアーは楽しくない」とも語っており、バンド活動へのモチベーションが決定的に低下する大きな要因となったとされています。
2. ファット・マイクの個人的な問題
バンドの中心人物であり、ほぼ全ての作詞作曲を手掛けるファット・マイクは、長年にわたりアルコールや薬物との依存症と闘ってきました。
自伝『ヘパタイティス・バスタブ』でも赤裸々に語られていますが、近年はリハビリ施設への入所も経験。
これらの問題が彼の心身やバンドメンバーとの関係に与えた影響は小さくありません。
近年の彼のソングライティングが、より内省的でパーソナルな内容へと変化していったのも、こうした経験が反映されています。
3. 「40周年」という節目
ファット・マイクは以前から「40周年でバンドを辞める」と公言していました。
2023年が結成40周年にあたり、2024年にかけてファイナルツアーを行うという流れは、彼の中では以前から計画されていたことでもありました。
他のメンバー(特にエル・ヘフェやメルヴィン)は継続を望んでいたとも言われていますが、ファット・マイクの「最高の状態のうちに辞めたい」という意志は固かったようです。
これらの要因が複合的に絡み合い、NOFXは「引退」という形でその長いキャリアに幕を下ろすことを決定しました。
2-5. ラストライブの概要
NOFXのキャリアの集大成となる最後のライブは、2024年10月4日、5日、6日の3日間にわたって、盛大かつ感動的に開催されました。
会場は、彼らの地元であるカリフォルニア州ロサンゼルス近郊の港町、サンペドロ。
バンドが長年主催してきたフェスティバル「Punk in Drublic」の最終公演として行われました。
この3日間のライブは、NOFXの全キャリアを網羅する、まさに歴史的なイベントとなりました。
彼らは事前に、これまでにリリースした全てのスタジオ・アルバムから数曲ずつ演奏することを予告。
さらに、毎日異なるセットリストを用意し、3日間で合計100曲以上を演奏するという、ファンにとっては夢のような、しかしバンドにとっては過酷な挑戦を敢行しました。
会場には地元カリフォルニアだけでなく、世界中からファンが集結しました。
ドロップキック・マーフィーズやペニーワイズ、ハイスタンダードといった彼らと縁の深いバンドたちもゲストとして駆けつけ、パンクシーン全体がレジェンドの最後を祝う、巨大なフェスティバルの様相を呈しました。
最終日となった10月6日は、NOFXにとって文字通り最後の公演となりました。
会場は、41年間の感謝を伝えようとするファンと、それに応えるバンドの演奏によって、熱気と感動、そして一抹の寂しさが入り混じった特別な空気に包まれました。
2-6. 最後の曲は何ですか?
2024年10月6日、カリフォルニア州サンペドロで行われたNOFXのキャリア最後のライブ。
アンコールを含め、数々の名曲が披露されたそのステージで、彼らが41年間の活動の最後に選んだ曲は、多くのファンの予想通り、あの大作でした。
NOFXが最後に演奏した曲は、1999年にリリースされたEP「The Decline」です。
この曲は、演奏時間が18分を超えるという、パンクロックとしては異例の長さを誇る組曲形式の楽曲です。
1999年の世紀末という時代背景の中、アメリカ社会の衰退、政治的腐敗、銃社会、メディアリテラシーの欠如といった問題を痛烈に風刺した、NOFXのキャリアにおける最も野心的かつ重要な作品の一つとされています。
多くのファンが予想した「Linoleum」のようなシンガロング・アンセムではなく、この複雑でシリアスな大作を最後に選んだことこそ、NOFXらしいと言えるでしょう。
これは、彼らが単なるおふざけやジョークだけのバンドではなく、最後まで社会批評家としての鋭い視点を持ち続けた真摯なパンクバンドであったことの最終証明となりました。
単なるノスタルジーに浸るのではなく、現代社会への警鐘を鳴らし続けるという、彼らなりのパンク・アティチュードを貫いたエンディングでした。
18分を超える壮大な演奏が終わると、ファット・マイクは「やり遂げた」という表情でファンへの感謝を述べ、41年間にわたるNOFXの歴史は、多くのファンに見守られながら静かに、しかし確かに幕を下ろしました。
2-7. まとめ:NOFX アルバム おすすめ
この記事では、NOFX アルバム おすすめを探している方に向けて、バンドの基本情報から解散に至るまでの詳細を解説しました。
40年以上にわたる彼らの歴史は、パンクシーンそのものの歴史でもあります。
- NOFXのバンド名は「Negative FX」への敬意と「No Effects」が由来
- 1983年に結成され1991年にエル・ヘフェが加入し黄金期へ
- 1994年の『Punk in Drublic』で世界的な成功を収めた
- 代表曲には「Linoleum」「Don’t Call Me White」「Bob」などがある
- 「Linoleum」はサビがない独特の構成とメロディで名曲となった
- ファット・マイクはHi-STANDARDをFat Wreck Chordsから全米デビューさせた
- ハイスタとの関係は深く最後の来日公演では全日程で共演
- バンドTシャツはFATロゴや皮肉なデザインで人気
- 最後の来日は2024年3月のPUNKSPRINGと単独ツアー
- 解散理由の一つは2018年のラスベガス不適切発言
- ファット・マイクの依存症問題や「40周年」の節目も理由
- ラストライブは2024年10月に地元カリフォルニアで3日間開催
- 3日間で全アルバムを網羅し100曲以上を演奏
- キャリア最後の曲は18分の大作「The Decline」であった
- 最終アルバムは2022年の『Double Album』


コメント