こんにちは。ジェネレーションB、運営者の「TAKU」です。
「GERMS バンド」と検索すると、断片的ながらも強烈な情報や、過激な伝説ばかりが目について、一体どんなバンドだったのか掴みどころがないと感じるかもしれません。
カリスマボーカルのダービー・クラッシュとはどんな人物だったのか、唯一のアルバム(GI)の何がすごいのか。
今でも見かけるあの青い円のTシャツの意味や、バンドを描いた映画、そしてメンバーだったパット・スミアーのその後の活躍など、気になる点は多いですよね。
この記事では、わずか数年でLAパンクの神話となったGERMSについて、その核心となる部分を私なりにまとめてみました。
彼らの混沌と伝説に少しでも触れていただけたら嬉しいです。
この記事でわかること
- GERMSの各メンバー、特にダービー・クラッシュの人物像
- 唯一のアルバム(GI)が伝説とされる理由
- 青い円のTシャツや「5カ年計画」といった神話の背景
- バンドにまつわる映画とダービー・クラッシュの最期
1-1. 伝説のGERMSというバンド
まず、GERMSというバンドの基本と、その中心にいた「クラシック・ラインナップ」と呼ばれる4人のメンバーについて、私なりに掘り下げてみたいと思います。
彼らは単なるバンドというより、LAパンクシーンが生んだ一つの「現象」だったと私は思っています。
1-1. カリスマ・ダービー・クラッシュ
GERMSの神話、そのすべてはボーカルのダービー・クラッシュ(本名:Jan Paul Beahm)に集約されると言っても過言ではありません。
彼の人物像は、極端な「二面性」に満ちています。
一方では、非常に知的でカリスマ的な扇動者でした。
彼は「IPS(Innovative Program School)」という特殊なオルタナティブ・スクールに通っており、そこは自己啓発セミナー(est)やサイエントロジーの要素を取り入れた教育を行っていたそうです。
ダービーは、そこで友人のパット・スミアーと共にLSDを常習し、他の生徒に「マインドコントロール」を試みたとして退学になっています。
この経験が、後のカルト・リーダー的な立ち振る舞いの原点になったのかもしれませんね。
しかし、もう一方では、ライブでガラスの破片で自らの体を切り刻み、ドラッグの影響でまともにマイクに向かって歌うことすらしない、制御不能な破滅的(カオティック)なパフォーマーでした。
この強烈な知性と、抑えきれない自己破壊衝動のアンバランスさこそが、彼を「カリスマ」たらしめた最大の理由だと私は思います。
1-2. ギターのパット・スミアー
ダービー・クラッシュと共にGERMSを結成したのが、ギターのパット・スミアー(本名:Georg Ruthenberg)です。
バンド結成当初、ダービーもローナ・ドゥームも楽器の演奏スキルは皆無でした。
その中で、パット・スミアーはGERMSのサウンドを定義づける「ノイジー」かつ「チェーンソーのよう」なギターリフを生み出し続けた、バンドの音楽的な支柱でした。
そして何より、GERMS解散後の彼のキャリアがすごいんです。
GERMSというLAパンクの最もアンダーグラウンドな神話の中心にいた彼が、90年代にはNirvana(ニルヴァーナ)のツアーギタリストとして『MTV Unplugged in New York』などの歴史的なステージに立ち、その後はNirvanaのドラマーだったデイヴ・グロールと共にFoo Fighters(フー・ファイターズ)の正式メンバーとして、今も世界中のスタジアムを沸かせているんです。
このキャリアの振れ幅は、パット・スミアーというギタリストが持つ稀有な才能と人間的魅力の証明ですよね。
1-3. ベースのローナ・ドゥーム
ベースのローナ・ドゥーム(本名:Teresa Ryan)は、ダービーたちの友人でした。
彼女の加入エピソードは、GERMSというバンドの特殊性を象徴しています。
GERMSは結成時、「演奏技術のない女の子2人募集」というチラシを出したと言われています。
ローナ・ドゥームは、まさにその「コンセプト」に応えて加入したメンバーでした。
結成当初、彼女はベースの弾き方もわからず、フレットの上で指を上下にスライドさせているだけだった、という逸話が残っています。
GERMSにとって、音楽的スキルよりも「そこにいること」自体が重要だったんですね。
彼女のクールなルックスと存在感は、バンドのビジュアルイメージにおいて不可欠なものでした。
GERMS解散後、彼女は音楽シーンから離れ、ニューヨーク市に移住して結婚し、静かに暮らしていたそうです。
しかし、2000年代に映画『What We Do Is Secret』がきっかけでバンドが再結成された際には、彼女もベーシストとして復帰しました 。
残念ながら、2019年1月16日に逝去されています。
1-4. ドラムスのドン・ボールズ
バンドの「クラシック・ラインナップ」を完成させたのが、ドラムスのドン・ボールズです。
初期のドラマーが流動的だった中で、彼の加入によってGERMSのサウンドは、混沌の中にも強烈なドライブ感を持つことになりました。
彼もまた、GERMS解散後にLAのアンダーグラウンドシーンで非常に重要な役割を果たした人物です。
45 Grave(45グレイヴ)
GERMS解散後、ドン・ボールズはゴシック・ロック/デスロックの先駆的バンドである45 Graveのメンバーとして有名になります。
GERMSのハードコア・パンクとはまた異なる、よりシアトリカルでダークな音楽性で、LAのシーンに大きな影響を与えました。
Nervous Gender / Celebrity Skin
彼の活動はそれだけにとどまらず、シンセ・パンクのNervous Gender や、グラム・ポップ的なCelebrity Skinなど、多数のバンドに参加しています。
彼のキャリアは、LAパンクが「ハードコア」一辺倒ではなく、「ゴス」や「シンセ」など、いかに多様なサブジャンルへと分岐・進化していったかを体現しているんです。
1-5. 唯一のアルバム(GI)の評価
GERMSが活動中に残したスタジオ・アルバムは、1979年にスラッシュ・レコードからリリースされた『(GI)』のたった1枚だけです。
しかし、この1枚が「パンク・クラシック」として今も聴き継がれているのには、明確な理由があります。
まず、プロデューサーが元The Runawaysのジョーン・ジェットだったこと。
彼女は、GERMSの持ち味である「混沌」を殺さずに、ダービー・クラッシュの「知的」な側面をレコードという形で後世に残すことに成功しました。
これは本当に大きな功績だと思います。
『(GI)』の核心は、やはりダービー・クラッシュの「二面性」にあると私は思っています。
ボーカル(肉体)
ライブでの混沌そのままの、動物的(animalistic)で腸から発するような(guttural)歌声 。
何を言っているかほとんど聞き取れない「ノイズ」としてのボーカルです。
歌詞(知性)
しかし、アルバムのLPには歌詞カード(lyric sheet)が同封されていました。
ファンはそこで初めて、ダービーが何を歌っていたかを知るわけですが、そこに並んでいたのは、ニーチェ、デヴィッド・ボウイ、ファシズム、チャールズ・マンソンなどに言及した、恐ろしく知的で詩的な(poetic)言葉の数々だったんです。
この「聞き取れないほど野蛮なボーカル」と「難解で知的な歌詞」という極端なギャップこそが、GERMSの表現の核心でした。
パット・スミアーのチェーンソーのようなギターサウンドと相まって、今聴いても全く色褪せない「ハードコアの先駆者」としてのサウンドが完成しているんです。
2. GERMSというバンドの神話と遺産
GERMSというバンドの魅力は、音楽だけにとどまりません。
というか、「音楽」と「神話」が不可分に結びついています。
特にダービー・クラッシュが仕掛けた数々の伝説が、今もなお多くの人を惹きつけているんだと思います。
2-1. アイコン的な青い円のTシャツ
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あの有名なロゴですよね。黒地に、ただ「太い青い円」が描いてあるだけの、非常にシンプルなデザイン。
『(GI)』のアルバムジャケットにも使われました。
このロゴは、ドラマーのドン・ボールズがデザインしたとされています。
当時のパンクの美学(セックス・ピストルズのような、切り貼り文字やアナーキーなデザイン)とは全く違う、ミニマルで抽象的、まるで企業ロゴのようなデザインは、当時かなり衝撃的だったはずです。
この「青い円」が何を意味するのか?
それについては様々な説があり、はっきりとは説明されていないこと自体が、このロゴの「秘密めいた」魅力になっています。
「青い円」ロゴの意味に関する諸説
- 「Germs Burns(ジャームス・バーンズ)」説: 最も有名な説です。ダービーがファンや仲間の手首に、仲間意識の証としてタバコの火を押し付けて作った「円形の火傷」を象徴しているというもの。
- 「Circle One」説: ダービーの取り巻き集団(カルト的なファンクラブ)「Circle One」のシンボルだったという説。
- ダービーの眼球説: ダービー・クラッシュの眼球を模したものだという説もあります。
- 完璧さ・統一の象徴説: 「円」が持つ、完璧さや精神的な統一を象徴しているという解釈 。
そもそもGERMSは、バンド名が「Tシャツにプリントする文字数が多すぎて金がかかる」という理由で「Sophistifuck and the Revlon Spam Queens」から「The Germs」に短縮されたという逸話があるほど、「Tシャツ(=イメージ)」を重視していました。
音楽よりも先にロゴ(ブランド)があったとも言われ、このTシャツはバンドの「コンセプト」そのものであり、今やパンク・ファッションの不滅のアイコンになっているんです。
2-2. ダービー・クラッシュの5カ年計画

ダービー・クラッシュは、バンドの結成から名声の獲得、そして自身の死に至るまでの「5カ年計画(five-year plan)」を持っていたと公言していました]。
その計画がまた、非常にコンセプチュアルでユニークなんです。
伝記映画などでのパット・スミアーの説明によれば、だいたいこんな感じだったようです。
- まず「バンドだ」と公言する。
- Tシャツを作る(=ロゴとイメージを確立する)。
- メンバーを集める。
- ライブをやる。
- そして最後に、楽器の弾き方を学ぶ。
普通のバンドの結成プロセス(まず楽器を練習して、曲を作って、ライブをやる)とは全く逆ですよね。
音楽を演奏するためではなく、「GERMS」という神話を作り上げること自体が目的だったことがよくわかります。
そして、彼はこの計画の最後、5年目に、自らの「死」を組み込んでいたとされています。
2-3. ダービー・クラッシュのゲイな側面

これは、彼の人物像や自殺の背景を理解する上で、非常に重要な側面だと思います。
このトピックは非常にデリケートですが、彼の神話を語る上で避けては通れない部分です。
ダービー・クラッシュはゲイ、あるいはバイセクシュアルであったと広く認識されていますが、生前はその事実を親しい友人やバンドメンバーにさえ隠していました。
当時のLAパンクシーンは非常に「マッチョ(男性的)」な雰囲気が支配的でした。
ダービー自身も、ニーチェやファシズムの美学を引用する(あくまで政治思想ではなく、デヴィッド・ボウイ的なパフォーマンスとしての引用ですが)など、強い男のイメージを演じていました。
もし自分が同性愛者であることが公になれば、ファンが離れてしまうことを極度に恐れていたようです。
この「公的なペルソナ(カオス、ファシスト、超人)」と「隠された私的な現実(同性愛、疎外感)」との間の強烈な葛藤が、彼の自己破壊的な行動や自殺願望の大きな一因になったのではないか、と指摘されています。
バンド末期には、恋人であったロブ・ヘンリー(Rob Henley)を、ドラムが全く叩けないにも関わらずバンドのドラマーにしようとし、ドン・ボールズを解雇したという逸話も残っています。
この公私の混同が、バンドの崩壊を早めた一因ともなりました。
2-4. 映画『ザ・デクライン』での衝撃
GERMSの混沌としたライブパフォーマンスは、1981年に公開されたドキュメンタリー映画『The Decline of Western Civilization(邦題:ザ・デクライン)』に、強烈なインパクトと共に記録されています。
これは、ペネロープ・スフィーリス監督が、当時のLAパンクシーンを切り取った歴史的な作品ですね。
X、Black Flag、Circle Jerksといった伝説的なバンドと並んで、GERMSもフィーチャーされています。
「Manimal」の演奏シーンなどでは、ダービー・クラッシュの狂気的なステージングと、それに熱狂(あるいは困惑)する観客の姿を生々しく観ることができます。
この映画で最も象徴的なのは、ステージに横たわるダービー・クラッシュをアップで写したポスターです。
このポスターは、彼の死の「前」にデザインされたものですが、映画が一般公開されたのは彼の死の「後」でした 。
期せずして、この映画はGERMSの「追悼」の意味を帯びることになり、ポスターのイメージは「LAパンクの殉教者」としてのダービー・クラッシュ像を永遠に固定化する役割を果たしたんです。
2-5. 伝記映画とダービー・クラッシュの死
ダービー・クラッシュは、1980年12月7日、ヘロインの意図的な過剰摂取により自殺しました。
まだ22歳という若さでした。これは、彼が公言していた「5カ年計画」の、彼自身による幕引きでした。
ダービーの最期
彼は友人の女性、ケイシー・コーラ(Casey Cola)と共に心中を図りましたが、彼女は生き残ったとされています 。
有名な伝説として、「死の間際に壁に『Here Lies Darby Crash(ダービー・クラッシュ、ここに眠る)』と書き残そうとした」という話がありますが、これは事実ではないようです。
実際に残されていたのは、Darby Crash Bandのベーシストに向けた「My life, my leather, my love goes to Bosco.」という短い遺書でした。
彼の死の皮肉な結末は、そのわずか23時間後、1980年12月8日に起きました。
そう、ジョン・レノンの暗殺です。
ダービー・クラッシュの「計画された神話的な死」は、この世界中を揺るがすニュースによって、メディアから完全に掻き消されてしまいました。
彼が望んだ「伝説的な死」は、メインストリームのロックゴッドの死によって「注目されなかった」のです。
これこそが、彼の神話を、最も皮肉な形で完成させたと私は思います。
伝記映画『What We Do Is Secret』
彼の波乱に満ちた生涯は、2007年に『What We Do Is Secret』(GERMSの曲名から採られています)というタイトルで伝記映画化されました。
ダービー役は俳優のシェーン・ウェストが演じ、その演技は「ダービーの振る舞いを見事に捉えている」と高く評価されました。
一方で、映画自体は「型にはまったロック伝記映画だ」という批判もあり、評価は賛否両論でした。
しかし、この映画の制作がきっかけとなり、シェーン・ウェストをボーカルに迎えてGERMSが再結成されるという、不思議な巡り合わせも生んでいます。
2-6. 今も続くGERMS バンドの影響
結局のところ、GERMSというバンドが今もこれほどまでに人々を惹きつけるのは、なぜでしょうか。
もちろん、Black FlagやCircle Jerksなどに続くLAハードコア・パンクの先駆者としての「音楽的」な影響は計り知れません。
ですが、それ以上に、ダービー・クラッシュという一人の人間が、自らの人生を「コンセプチュアル・アート」として設計し、混沌としたパフォーマンス、知的な歌詞、アイコンとしてのロゴ(Tシャツ)、そして「5カ年計画」に基づく自らの「死」をもって、22歳で「作品」として強引に完成させてしまった。
私たちがGERMSというバンドに惹かれるのは、その音楽、ファッション、そして何よりもその「生き様(死に様)」そのものが、強烈な「神話」として今も生き続けているからなのかもしれませんね。
Red Hot Chili Peppersのフリーが語ったとされる「彼らはパンク・ロックというジャンルを超越した」という言葉は、まさにGERMSの本質を突いていると思います。
このアナログ盤、CDとは全く違う。針が落ちた瞬間の“ザラつき”に、ダービー・クラッシュの死の匂いがある。





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