ザ・ローリング・ストーンズの魂であり、生ける伝説のギタリスト、キース・リチャーズ。
彼が生み出すシンプルかつ強力なギターリフはロックの歴史そのものですが、その魅力はギタープレイという一面だけでは語り尽くせません。
この記事では、彼のしゃがれた声が強烈な個性を放つキース・リチャーズのボーカル曲に深く焦点を当て、その知られざる奥深い世界へと皆様をご案内します。
彼の音楽性の核心に迫るべく、ヴォーカリストとして一体何がすごいのか、また彼が影響を受けたアーティストは誰ですか?といった根源的な疑問に、具体的な楽曲と共に答えていきます。
さらに、音楽的な側面である愛用しているギターは?というテーマから、世界を驚かせた映画「パイレーツ オブ カリビアン」への出演秘話、今でもタバコを吸っていますか?といったパーソナルな関心事、果ては血を入れ替えた?という衝撃的な噂や近年の健康状態、そして、なぜギターが弾けなくなったのか?というファンの間で囁かれる心配の声にも触れつつ、彼の生き様を凝縮したかのような名言と共に、その比類なき人物像を立体的に掘り下げていきます。
- キース・リチャーズが歌う隠れた名曲の魅力がわかる
- ストーンズとソロにおける彼の音楽的変遷を深く理解できる
- 彼の音楽哲学やアウトローな伝説、ブートレグの真相に迫れる
- ギタリスト以外の多才な人物像と盟友との関係が明確になる


1. キース・リチャーズのボーカル曲 その魅力と変遷
- ヴォーカリストとして何がすごい?
- ストーンズでのヴォーカル曲 全曲リスト&レビュー
- 影響を受けたアーティストは誰ですか?
- 彼が愛用しているギターは?
- ロックンロールを体現する名言
1-1. ヴォーカリストとして何がすごい?
キース・リチャーズのヴォーカルの凄さは、音程の正確さや声量といった、いわゆる技術的な歌唱力で評価されるものではありません。
むしろ、その真価は60年以上にわたるロックンロール人生そのものが刻み込まれた、しゃがれた声が持つ独特のソウルと、一切の虚飾を剥ぎ取ったかのような真正性(オーセンティシティ)にこそあります。
彼の声は、ブルースやカントリーといったアメリカのルーツ・ミュージックの魂を色濃く反映しており、聴く者に深い感動と説得力を与えます。
ザ・ローリング・ストーンズにおいて、ミック・ジャガーが持つ華やかでカリスマティックなフロントマンとしての歌唱とは明確な対比をなしています。
キースの歌声はより内省的でパーソナル、そして時には人間的な脆さや弱ささえ感じさせます。
この二つの異なる声がひとつのバンドに共存することで、ストーンズの音楽には光と影、動と静といった立体的な深みが生まれ、他の追随を許さない独自の音楽世界を構築しているのです。
キース・ヴォーカルのバンドにおける役割
- 感情の代弁者:喜び、悲しみ、怒り、反骨精神といった人間の根源的な感情を、テクニックを超えて生々しく表現する力を持っています。
- ルーツへの回帰:彼がマイクを取る時、バンドは常にその原点であるブルースやカントリーといったルーツ・ミュージックへと立ち返ります。彼の声は、バンドの音楽的羅針盤とも言える役割を果たしているのです。
- 音楽的コントラスト:ミック・ジャガーのポップな側面と対をなすことで、バンドの音楽的パレットを無限に広げ、マンネリ化を防いでいます。
例えば、彼が初めて全編でリード・ヴォーカルを務めた『レット・イット・ブリード』収録の「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」では、アコースティックな響きの中で、彼の声が持つ傷つきやすさと純粋な感情が聴く者の心を揺さぶります。
一方で、彼のヴォーカル曲として最も商業的に成功した「ハッピー」(1972年)は、全米ビルボードHot 100で最高22位を記録し、彼のヴォーカリストとしての存在を世に知らしめました。
この曲は南フランスのヴィラ・ネルコートで、他のメンバーが不在の中、わずか4時間で書き上げられレコーディングされたという逸話も残っており、インスピレーションの爆発が生んだ奇跡の楽曲です。
また、1977年のドラッグによる逮捕という自身の経験を基に書かれた「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」では、法や世間に対する反抗的な叫びを、吐き捨てるような歌声で表現。
キャリア後期には「スリッピング・アウェイ」や「ザ・ワースト」といった珠玉のバラードを生み出し、ファンの間で絶大な人気を誇るなど、その表現力は年を重ねるごとに深みを増しています。
彼の歌声は、完璧に磨き上げられた宝石ではありません。
むしろ、傷や歪みさえもが魅力となる、無骨な原石のようなものです。
しかし、その不完全さこそがロックンロールの本質であり、「ヒューマン・リフ」と称される彼自身の存在証明なのです。
1-2. ストーンズ・ヴォーカル曲 全曲リスト&レビュー
アルバムに1〜2曲収録されるキースのヴォーカル曲は、ファンにとって大きな楽しみの一つです。ここでは、彼がリードまたは共同リード・ヴォーカルを務めた全楽曲をリストアップし、その魅力をレビューします。
曲名 | 収録アルバム | 発表年 | レビュー |
---|---|---|---|
Connection | Between the Buttons | 1967年 | ミックとヴォーカルを分け合う形で初めてクレジットされた楽曲。荒々しく性急なロックンロールで、彼のバリトン時代の声がバンドのサウンドに新たな刺激を与えました。 |
Something Happened to Me Yesterday | Between the Buttons | 1967年 | ミックとの共同リード。サイケデリックで英国的なユーモアに溢れた曲で、ミュージックホール風のエンディングをキースが担当。彼の多才な一面が垣間見えます。 |
Salt of the Earth | Beggars Banquet | 1968年 | アルバムの壮大なクロージングナンバーで、最初のヴァースをキースが担当。「地の塩」である労働者階級への敬意を、飾り気のない誠実な声で歌い上げます。 |
You Got the Silver | Let It Bleed | 1969年 | 記念すべき初の全編単独リード・ヴォーカル曲。アコースティックなブルースで、彼の孤独感、脆弱性、そして温かみが凝縮されています。ヴォーカリストとしての原点です。 |
Happy | Exile on Main St. | 1972年 | 彼の代名詞。わずか4時間で生まれた奇跡のロックンロールで、喜びが爆発するような歌声は聴く者すべてを幸せにします。ビルボード22位を記録した唯一のソロ・シングルヒット。 |
Coming Down Again | Goats Head Soup | 1973年 | ドラッグの酩酊と倦怠感を歌ったとされる、物悲しくも美しいバラード。痛切な感情がこもった歌声は、彼の内面の脆さを浮き彫りにします。 |
Memory Motel | Black and Blue | 1976年 | ミックとヴォーカルを分け合う7分超の大作。楽曲後半、過去を追想するパートをキースが担当し、そのノスタルジックな歌声が深い余韻を残します。 |
Before They Make Me Run | Some Girls | 1978年 | 1977年のトロントでの逮捕劇を受けて書かれた、反骨精神の塊のようなアウトロー賛歌。吐き捨てるように歌う姿は、まさにロックンロールそのものです。 |
All About You | Emotional Rescue | 1980年 | アニタ・パレンバーグとの関係の終わりを歌ったとされる、痛切なバラード。疲労感と愛情が入り混じった歌声が胸を締め付けます。 |
Little T&A | Tattoo You | 1981年 | 「Happy」の系譜に連なる、痛快なアップテンポのロックンロール。ツアー先のグルーピーとの刹那的な関係を、ユーモアを交えて軽快に歌い上げます。 |
Wanna Hold You | Undercover | 1983年 | 80年代らしいサウンドプロダクションの中でも、彼のロックンロール魂は健在。ストレートな愛情を歌った、明るくキャッチーなナンバーです。 |
Too Rude | Dirty Work | 1986年 | レゲエ・ナンバーのカバー。元々レゲエへの造詣が深い彼ならではの、リラックスしたグルーヴと味のあるヴォーカルが楽しめます。 |
Sleep Tonight | Dirty Work | 1986年 | ピアノをバックに優しく歌い上げる美しいバラード。彼の声が持つ温かみと包容力が最大限に発揮された名曲で、チャーリー・ワッツのドラムも心に沁みます。 |
Can’t Be Seen | Steel Wheels | 1989年 | バンドの完全復活を印象付けた快作からの1曲。ファンキーなギターリフに乗せて、自信に満ちたヴォーカルを聴かせます。 |
Slipping Away | Steel Wheels | 1989年 | 後期のキース・バラードの最高傑作。人生の哀愁と過ぎ去った時間への想いを、深みを増した声で歌い上げ、多くのファンの涙を誘いました。 |
The Worst | Voodoo Lounge | 1994年 | カントリーテイスト溢れるアコースティック・バラード。「俺は最低の男だった」と歌う歌詞が、彼の人生と重なり、深い説得力を持ちます。 |
Thru and Thru | Voodoo Lounge | 1994年 | 静かなパートから始まり、徐々にバンドサウンドが加わり壮大に展開していく構成が魅力。ダークで内省的ながらも力強いヴォーカルを聴かせます。 |
You Don’t Have to Mean It | Bridges to Babylon | 1997年 | 「Too Rude」に続くレゲエ・ナンバー。ホーンセクションも加わり、より本格的でオーセンティックなサウンドに仕上がっています。 |
Thief in the Night | Bridges to Babylon | 1997年 | アルバムの終盤を飾るメドレーの1曲目。ミステリアスな雰囲気の中、彼の低い声が囁くように響き、独特の世界観を構築しています。 |
How Can I Stop | Bridges to Babylon | 1997年 | ジャズ界の巨匠ウェイン・ショーターのサックスをフィーチャーした、ジャジーでムーディーなバラード。円熟味を増したヴォーカルが心に染み渡ります。 |
Losing My Touch | Forty Licks | 2002年 | ベスト盤に収録された新曲。老いや衰えをテーマにしながらも、それを受け入れる潔さと哀愁を感じさせるヴォーカルが感動を呼びます。 |
This Place Is Empty | A Bigger Bang | 2005年 | 孤独と喪失感を歌った、シンプルながらも胸に迫るバラード。削ぎ落とされたサウンドが、彼の声の存在感を際立たせます。 |
Infamy | A Bigger Bang | 2005年 | アルバムのラストを飾るブルージーなロックナンバー。どこかユーモラスで投げやりな歌い方が、彼らしい味わいを醸し出しています。 |
Tell Me Straight | Hackney Diamonds | 2023年 | 18年ぶりのオリジナルアルバムから届けられた、円熟の極みとも言えるバラード。「まっすぐに言ってくれ」と問いかける切実な歌声は、人生の黄昏を見つめる者の深い思索を感じさせます。健在ぶりを示す感動的な一曲です。 |
1-3. 影響を受けたアーティストは誰ですか?
キース・リチャーズの音楽的基盤、すなわち彼の血肉となったのは、1950年代から60年代にかけて彼が夢中になったアメリカのルーツ・ミュージックです。
彼が神々と崇め、多大な影響を受けたアーティストたちは、彼のギタープレイはもちろん、しゃがれたヴォーカルスタイルや独特の作曲アプローチの隅々にまで、そのDNAを色濃く残しています。
影響源の筆頭として絶対に外せないのが、「ロックンロールの父」チャック・ベリーです。
キースは公然と「俺はチャック・ベリーから全てを学んだ」と語っており、その特徴的なギターリフやストーリーテリングの手法は、ストーンズの音楽の設計図となりました。
1987年には、チャック・ベリーのドキュメンタリー映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で音楽監督という大役を務め上げ、敬愛するヒーローへの恩返しを果たしています。
この経験は、彼が自身のソロ活動へ踏み出す大きな自信にも繋がりました。
また、シカゴ・ブルースの巨人たちも、キースの音楽性を語る上では不可欠です。
ブルースの名門レーベル、チェス・レコードに所属していたマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフ、そしてジミー・リードといったアーティストのレコードを、若き日のキースは文字通り擦り切れるまで聴き込みました。
特に、ブライアン・ジョーンズと共に二本のギターが絶妙に絡み合い、どちらがリードでどちらがリズムか分からなくなる「ウィーヴィング(織物)」と呼ばれる奏法を編み出したのは、ジミー・リードの楽曲を徹底的に分析した成果です。
グラム・パーソンズとカントリー・ミュージック
ブルースやロックンロールと並行して、キースの魂に深く響いたのがカントリー・ミュージックでした。
特に、カントリーロックの先駆者であるグラム・パーソンズとの出会いと友情は、ストーンズの音楽に新たな次元をもたらします。
二人は意気投合し、キースはグラムからカントリーのコード進行や歌心を学びました。
その影響は『ベガーズ・バンケット』や『レット・イット・ブリード』といったアルバムで顕著に表れ、「ワイルド・ホース」のような不朽のカントリーバラードを生み出す土壌となったのです。
重要なのは、キースがこれらの影響を単なる模倣で終わらせなかった点です。
彼は先人たちへの深いリスペクトを抱きつつ、彼らの音楽のエッセンスを一度自分の中で完全に分解し、ストーンズという唯一無二のフィルターを通して、全く新しい世代のロックンロールとして再構築したのです。
彼が歌う楽曲にブルースやカントリーの土の匂いがするのは、彼の音楽的ルーツが決して揺らぐことのない、強固なものであることの証明に他なりません。
1-4. 彼が愛用しているギターは?
「ヒューマン・リフ」の異名を持つキース・リチャーズのサウンドは、彼の相棒であるギターと不可分です。
キャリアを通じて数えきれないほどのギターを手に取ってきましたが、その中でも彼のアイコンとして最も広く知られているのが、「ミカウバー(Micawber)」という愛称で呼ばれる1950年代製のブロンドカラーのフェンダー・テレキャスターです。
この伝説的なギターは、1971年にキースが27歳の誕生日を迎えた際、友人のエリック・クラプトンから贈られたものです。
以来、半世紀以上にわたり、彼のメインギターとしてステージやレコーディングで活躍し続けています。
しかし、ミカウバーが特別なのはその出自だけではありません。
その真価は、キース自身の手によって施された、実用性を徹底的に追求した大胆な改造にあります。
改造ポイント | 詳細と効果 |
---|---|
5弦オープンGチューニング | 彼の代名詞とも言えるチューニング。最も低い6弦(E弦)を物理的に取り外し、残りの5本を低い方から「G-D-G-B-D」に合わせます。これにより、ベースの音域との衝突を避け、パワフルで明瞭なリフを生み出すことが可能になりました。 |
ハムバッカー・ピックアップ搭載 | 本来シングルコイルであるフロント(ネック側)のピックアップを、ギブソン製のPAFハムバッカーに交換。しかも上下逆さまに取り付けられています。これにより、フェンダー特有の鋭いトーンに加え、太く温かみのあるギブソン・サウンドをブレンドできるようになりました。 |
ブリッジの交換 | オリジナルの3連サドルではチューニングの精度に限界があるため、より安定性の高い真鍮製の6連サドル(5弦仕様のため1つは取り外し)に交換。見た目より演奏中の機能性を優先する彼の哲学が表れています。 |
ミカウバーの名の由来
「ミカウバー」というユニークな名前は、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの小説『デイヴィッド・コパフィールド』に登場する楽観的なキャラクター「ウィルキンズ・ミカウバー氏」に由来します。
キースが単にその響きを気に入ったから、というのが理由のようです。
このミカウバーを筆頭に、同じく5弦仕様のナチュラルフィニッシュのテレキャスター「マルコム」、サンバーストカラーの「ソニー」といったテレキャスター・ファミリーが、彼のサウンドの根幹を形成しています。
もちろん、テレキャスター一筋というわけではなく、キャリア初期の60年代にはギブソン・レスポール・スタンダード(後にジミー・ペイジの手に渡ったとされる伝説の一本)や、P-90ピックアップ一基のみという潔い仕様のレスポール・ジュニアなども多用し、ストーンズのサウンドをよりヘヴィで攻撃的なものへと進化させる原動力となりました。
道具としてのギター哲学
キースのギターに対するアプローチは、ヴィンテージとしての希少価値やオリジナリティを尊重するコレクターの視点とは全く異なります。
彼にとってギターはあくまで音楽を生み出すための「道具」であり、最高の音と演奏性を得るためならば、歴史的な価値を持つ楽器であっても躊躇なくドリルで穴を開け、パーツを交換します。
この徹底した機能主義と実用性こそが、彼のサウンドを唯一無二のものにしているのです。
1-5. ロックンロールを体現する名言
キース・リチャーズが紡ぎ出す言葉は、彼のギターリフと同様に、鋭く、本質を射抜き、そして常に独特のユーモアと愛情に満ちています。
彼のインタビューや自伝で語られる数々の名言は、単なる印象的なフレーズにとどまらず、彼の生き様そのものを映し出す哲学として、世界中の人々に影響を与え続けてきました。
彼の哲学を最も象徴しているのが、トレードマークであるスカルリング(骸骨の指輪)に込められた意味について語った言葉でしょう。
このリングは1978年にロンドンの宝飾ブランド「コーツ&ハケット」によって制作され、キースに贈られて以来、片時もその指から外されたことはありません。
「綺麗に着飾っていようが階級が異なろうが、一皮むけば人間はみんな骸骨。それに自分はいつの日にか、100%の確率で死ぬ運命にある。だからこそ悔いのないよう生きたい」
これは、死を常に意識すること(メメント・モリ)で、限りある生の時間を最大限に輝かせるという、彼の強烈な生への肯定です。
富や名声、社会的な地位といった表面的なものに惑わされることなく、人間の根源的な姿を見つめ、自らが信じるロックンロールを貫くという決意表明でもあります。
音楽作りに関しても、彼の哲学は非常に明快です。
彼はリフ作りを「天気予報官のようなもの」と表現し、「アンテナを張って、空から降ってくるものをただ受け止める作業」だと語っています。
つまり、偉大なリフは自分が発明するのではなく、既に宇宙に存在しているものを感受性の高いアンテナでキャッチするだけだというのです。
この創作における謙虚さと神秘的な感覚こそが、60年以上にわたって色褪せることのない普遍的なリフを生み出し続ける源泉なのかもしれません。
ミック・ジャガーとの長年にわたる複雑な関係性について問われた際には、「兄弟みたいなものさ。兄弟ってのは喧嘩するものだろう?」と一言で片付けます。
この短い言葉の中に、愛憎を超えた深い絆と、バンドという共同体を維持するための知恵が凝縮されています。
彼の言葉は常に、ロックンロールの本質である「シンプルさ」と「力強さ」を宿しているのです。
2. 反骨の魂:ソロ活動とエクスペンシヴ・ワイノーズ
- ミック・ジャガーとの対立とソロへの道
- エクスペンシヴ・ワイノーズの結成
- 魂の三部作:ソロアルバム徹底レビュー
- キース・リチャーズの主なソロ・ヴォーカル曲
- アウトローの記録:伝説のブートレグ音源
2-1. ミック・ジャガーとの対立とソロへの道
キース・リチャーズのソロ活動は、単なるサイドプロジェクトではありませんでした。
それはローリング・ストーンズという巨大な生命体を守るための、必要に迫られた反逆行為であり、彼自身の音楽的アイデンティティを再確認するための重要なプロセスだったのです。
1980年代中盤、ストーンズは深刻な「低迷期」にありました。
ミック・ジャガーが時代の流行を取り入れたポップ志向のソロ活動に傾倒し、バンドとしての活動を停滞させたことに、キースは激しい不満と危機感を募らせていました。
『ダーティ・ワーク』(1986年)の制作は困難を極め、二人の創造的なパートナーシップは崩壊寸前でした。
そんな中、大きな転機となったのが、前述のチャック・ベリーのドキュメンタリー映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で音楽監督を務めた経験です。
このプロジェクトは彼にソロアーティストとしての自信を与え、そして何よりも、彼の音楽的右腕となるドラマー、そしてチャーリー・ワッツ亡き後、現在のストーンズのサポートメンバーであるスティーヴ・ジョーダンとの運命的な出会いをもたらしました。
キースは、ミック抜きでも最高のロックンロールが作れることを確信し、自身のバンドを結成する決意を固めるのです。
2-2. エクスペンシヴ・ワイノーズの結成
こうして結成されたのが、キースが心から信頼する名手たちを集めたバンド、エクスペンシヴ・ワイノーズ(The X-Pensive Winos)です。
「値段の高いワインばかり飲む酔っぱらいたち」というユーモラスなバンド名は、彼らの音楽への姿勢を象徴していました。
メンバーは、共同プロデューサーも務めるドラマーのスティーヴ・ジョーダンを核に、LAセッション界の重鎮ギタリストのワディ・ワクテル、ファンキーなグルーヴを生み出すベーシストのチャーリー・ドレイトン、ネヴィル・ブラザーズの血を引くキーボーディストのアイヴァン・ネヴィルといった、まさに「気の合う仲間たち」でした。
彼らは皆、小手先のテクニックよりも、心と体で感じるグルーヴを最も重視するという音楽哲学を共有していました。
ワイノーズの音楽的意義
エクスペンシヴ・ワイノーズは、キースにとって単なるバックバンドではありませんでした。80年代の音楽シーンを席巻していたドラムマシンやデジタルシンセサイザー、画一的なプロダクションへのアンチテーゼとして、人間同士の化学反応から生まれる生々しいグルーヴを守るための「聖域」だったのです。それは、キースが理想とするロックンロール・バンドの、完璧なワーキングモデルでした。
2-3. 魂の三部作:ソロアルバム徹底レビュー
キース・リチャーズとエクスペンシヴ・ワイノーズは、彼の音楽的信念と魂を刻み込んだ3枚のスタジオ・アルバムを世に送り出しました。
それぞれが異なる時期に制作されながらも、一貫して彼のルーツミュージックへの愛情と、バンドサウンドへのこだわりが貫かれています。
『トーク・イズ・チープ』(1988年):反逆のマニフェスト

記念すべき初のソロアルバムは、ミック・ジャガーのポップなソロ作品に対する、キースからの痛烈な音楽的回答でした。
シンセサイザーが多用された当時のサウンドとは一線を画す、有機的で力強いグルーヴに満ちたこの作品は、「謙虚なソウル」「騒々しく、態度の良い楽しさ」と評され、ストーンズがしばらく失っていた生々しさを感じさせました。
ミックに向けられたとされる痛烈な「ユー・ドント・ムーヴ・ミー」や、シングルカットされた「テイク・イット・ソー・ハード」など、個人的な声明でありながら一級品のロックンロールが並びます。
『メイン・オフェンダー』(1992年):グルーヴの深化
ストーンズが『スティール・ホイールズ』で完全復活を遂げた後に制作された2作目。
ミックへの怒りが原動力だった前作とは異なり、ワイノーズというバンドとの演奏の喜びそのものから生まれた、リラックスした雰囲気が特徴です。
「グルーヴ・アルバム」と評されるように、バンドの一体感がより前面に出ており、力強いレゲエ・ナンバー「ウィキッド・アズ・イット・シームズ」や、キャッチーなシングル「アイリーン」、そして美しいバラード「ヘイト・イット・ホウェン・ユー・リーブ」「デモン」など、多彩な楽曲が収録されています。
『クロスアイド・ハート』(2015年):円熟の集大成
23年という長い沈黙を破ってリリースされた3作目は、彼の音楽的探求のまさに集大成と言える作品です。
アコースティック・ブルース(表題曲)、ストーンズ風のロッカー(「トラブル」)、レゲエのカバー(「ラヴ・オーヴァーデュー」)、そしてノラ・ジョーンズとのデュエットが光る感動的なバラード(「イリュージョン」)まで、彼の情熱のすべてが注ぎ込まれています。
批評家からは「正真正銘のクラシック・アルバム」と絶賛され、チャートアクションも好調でした。
アルバムタイトル | 発表年 | 特徴 | 代表曲 |
---|---|---|---|
トーク・イズ・チープ | 1988年 | ミックへの対抗意識から生まれた、ソウルフルで反骨精神に満ちたデビュー作。 | テイク・イット・ソー・ハード、ストラグル |
メイン・オフェンダー | 1992年 | バンドとの一体感を重視した、リラックスした雰囲気のグルーヴ・アルバム。 | ヘイト・イット・ホウェン・ユー・リーブ、アイリーン |
クロスアイド・ハート | 2015年 | 23年ぶりにリリースされた、多彩な音楽性を網羅した円熟の集大成。 | トラブル、イリュージョン |
盟友トム・ウェイツとの共鳴
キースのソロ活動を語る上で、同じくしゃがれた声を持つ孤高のアーティスト、トム・ウェイツとの交流は欠かせません。
二人の魂は互いに共鳴しあい、トムのアルバム『レイン・ドッグス』(1985年)や『バッド・アズ・ミー』(2011年)にキースが参加するなど、数々の名演を残しています。
ブルースやR&Bに根差した音楽性、アウトローとしての佇まいなど、多くの共通点を持つ二人は、互いを深くリスペクトし合う盟友なのです。
キースのソロ作品が持つ「本物の匂い」は、トム・ウェイツの世界観とも通底しています。


2-4. キース・リチャーズの主なソロ・ヴォーカル曲
彼のソロ活動から生まれた楽曲は、ストーンズのナンバーとはまた違った、よりパーソナルで自由な魅力に溢れています。ここでは、彼のソロキャリアを代表するヴォーカル曲をいくつか紹介します。
曲名 | 収録アルバム/シングル | 発表年 | レビュー / 解説 |
---|---|---|---|
ラン・ルドルフ・ラン | クリスマス・シングル | 1978年 | 記念すべき初の公式ソロ・シングル。彼が敬愛するチャック・ベリーのカバーで、B面にはジミー・クリフの名曲「ハーダー・ゼイ・カム」を収録。ロックンロールとレゲエという彼の音楽的ルーツを明確に示した、キャリアの重要な出発点です。 |
テイク・イット・ソー・ハード | トーク・イズ・チープ | 1988年 | 1stソロからのリードシングル。キース印のギターリフが炸裂する、ストーンズファンも納得の王道ロックンロール。 |
ストラグル | トーク・イズ・チープ | 1988年 | ミックとの確執を歌ったとされるナンバー。ファンキーなリズムと緊張感のあるギターが特徴的。 |
アイリーン | メイン・オフェンダー | 1992年 | ポップでキャッチーなメロディが光る楽曲。彼のメロディメーカーとしての才能が発揮されています。 |
Hate It When You Leave | メイン・オフェンダー | 1992年 | ファンの間でソロキャリアの白眉と評されることも多い、珠玉のソウル・バラード。温かく包み込むようなヴォーカルと美しいメロディは、彼の音楽家としての懐の深さを感じさせます。隠れた名曲中の名曲です。 |
ウィキッド・アズ・イット・シームズ | メイン・オフェンダー | 1992年 | レゲエのリズムを取り入れたヘヴィなグルーヴが印象的なナンバー。バンドの一体感が際立っています。 |
トラブル | クロスアイド・ハート | 2015年 | 23年ぶりの新曲として発表されファンを歓喜させた、痛快なロックチューン。年齢を感じさせない切れ味です。 |
イリュージョン | クロスアイド・ハート | 2015年 | ノラ・ジョーンズとのデュエットが美しいバラード。彼の声が持つ温かみと深みが存分に味わえる名曲。 |
2-5. アウトローの記録:伝説のブートレグ音源
キース・リチャーズというアーティストの全体像を掴むためには、公式にリリースされた作品だけでは不十分です。彼の魂の叫びや音楽的な実験は、ブートレグ(海賊盤)と呼ばれる非公式音源の中にこそ、生々しく記録されています。ここでは特に有名な名盤をいくつか紹介します。
タイトル | 年代 | 内容 / 特徴 |
---|---|---|
Stone Alone (Toronto Sessions ’77) | 1977年 | 最重要ブートレグ。トロントでヘロイン所持で逮捕され、長期の懲役刑に直面するという絶望的な状況下で録音されました。キース自身のピアノ弾き語りを中心に、カントリーやブルースのカバーが痛切な声で歌われており、彼のパブリックイメージとはかけ離れた、傷つきやすく繊細な魂が記録されています。 |
The New Barbarians – Buried Alive | 1979年 | ロン・ウッドとの期間限定バンド、ニュー・バーバリアンズのライブ音源。ストーンズという組織から解放され、純粋にロックンロールを楽しむキースの姿が記録されています。後に公式盤としてもリリースされましたが、多くのブートレグが存在します。 |
Torn and Frayed | 様々 | スタジオでのアウトテイクやデモ音源などを集めたブートレグの総称。楽曲が完成する前のラフな姿や、未発表曲の断片などを聴くことができ、彼の創造のプロセスを垣間見ることができます。 |
ブートレグの注意点
ブートレグは非公式な音源であり、音質は様々で、入手も困難な場合があります。
しかし、そこに記録されているのは、作り込まれた公式盤では聴くことのできない、アーティストのありのままの姿です。
ブートレグは、キース・リチャーズの魂の潮流を記した、秘密の日記のようなものなのです。
3. キース・リチャーズのボーカル曲を彩る伝説
- なぜギターが弾けなくなったとの噂
- パイレーツ オブ カリビアンへの出演
- 血を入れ替えたという逸話は本当?
- 今もタバコを吸っていますか?
- 近年の健康状態について
3-1. なぜギターが弾けなくなったとの噂
近年、特にインターネット上の一部のファンの間で「キース・リチャーズはもうギターがまともに弾けなくなったのではないか」という噂が囁かれることがあります。
これは、主に彼の指の関節が目に見えて変形していることや、80歳という高齢による身体的な影響を心配する声から生まれたものと考えられます。
結論から明確に述べると、彼がギタリストとして活動できないほどギターを弾けなくなったという事実は一切ありません。
しかし、彼自身が正直に語っている通り、指に変化が起きているのは事実です。
2023年のBBCのインタビューにおいて、両手指に関節炎(Arthritis)を患っていることを認め、「疑いなく悪化はしているが、今のところ痛みはない。これは良性のものだ」と明かしています。
長年にわたる過酷な演奏活動の勲章とも言えるでしょう。
確かに、若い頃のような複雑で入り組んだソロプレイや、超絶技巧を披露する場面は減っているかもしれません。
しかし、元々彼のプレイスタイルの真髄は、スピードやテクニックではなく、楽曲の骨格となるリズムと、バンド全体を推進させる強靭なグルーヴにあります。
彼は自身の現在のコンディションを完璧に把握し、その中で最高のパフォーマンスを発揮できるよう、プレイスタイルを巧みに調整しているのです。
ストーンズサウンドの核であるリフの切れ味は今なお健在であり、もう一人のギタリスト、ロン・ウッドとの「ウィーヴィング」による絶妙なコンビネーションで、バンドサウンドを力強く支え続けています。
噂が生まれる背景とその真実
このような噂が広まるのは、彼がロック界における最高峰のレジェンドであり、その一挙手一投足が常に世界中の注目を集めていることの裏返しでもあります。少しの変化でも憶測を呼び、大きく取り沙汰されがちですが、近年のライブ映像や最新アルバム『ハックニー・ダイアモンズ』でのプレイを聴けば、彼が今もなお第一線のギタリストとして現役バリバリであることが、誰の目にも明らかです。
3-2. パイレーツ オブ カリビアンへの出演
キース・リチャーズは音楽界の生ける伝説であるだけでなく、全世界で記録的な大ヒットとなったディズニー映画のシリーズ『パイレーツ・オブ・カリビアン』に俳優として出演し、ファンを驚かせたことでも広く知られています。
彼が演じたのは、ジョニー・デップ扮するエキセントリックな海賊、キャプテン・ジャック・スパロウの父親であり、「海賊の掟」の番人でもあるキャプテン・ティーグという重要な役どころです。
この一見すると異色なキャスティングが実現した背景には、主演のジョニー・デップとの特別な関係があります。
ジョニー・デップは以前からキースの熱烈なファンであることを公言しており、そもそもジャック・スパロウというキャラクターを作り上げる上で、キース・リチャーズのミステリアスで自由奔放、そしてどこか危険な香りのする立ち振る舞いを最大のインスピレーション源にしたと語っています。
つまり、キースはジャック・スパロウの精神的な父親、いわばゴッドファーザーだったのです。
その縁から、製作陣が「本物の父親役に、本物のキース・リチャーズを」と出演をオファーしたところ、キースがこれを快諾。
以下の2作品に登場し、わずかな出演シーンながらも画面を支配するほどの強烈な存在感を放ちました。
- パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド (2007年)
- パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 (2011年)


撮影現場での伝説
撮影現場でのキースは、まさに本物の海賊そのものだったと言われています。
あまりにも自然体でキャプテン・ティーグになりきっていたため、監督のゴア・ヴァービンスキーが「キース、素晴らしいよ。でも、もう少しだけ『演技』をしてみてくれないか?」と頼んだという面白い逸話も残っています。
音楽だけでなく、俳優としても唯一無二のカリスマ性を持つことを世界に証明した出来事でした。
3-3. 血を入れ替えたという逸話は本当?
キース・リチャーズにまつわる数々のクレイジーな伝説の中でも、最も有名で、そして最も多くの人々が信じてきたのが「長年のドラッグ使用で汚れた血液を浄化するため、スイスのクリニックで全身の血液を新しいものに入れ替えた」という衝撃的な逸話です。
この話は、70年代の彼の破天荒なアウトローイメージを決定づける都市伝説として、半世紀近くにわたってまことしやかに語り継がれてきました。
しかし、これは完全なフィクションです。
キース本人が2010年に出版した自伝『ライフ』の中で、この噂が自身のうんざりしたジョークから生まれたものであると、真相を明確に否定しています。
事の真相は、1973年に長年のヘロイン依存から脱却するため、スイスのクリニックに入院した際のことです。
そこで彼は、血液から不純物や毒素を濾過して取り除く治療(血液透析に近い、ヘモダイアライシスと呼ばれる処置)を受けました。
この治療を終えてクリニックから出てきた際、待ち構えていた記者から治療内容についてしつこく質問されたキースは、うんざりして、その場を切り抜けるためにこう答えてしまったのです。
「ああ、血を全部入れ替えたのさ。チューンナップだよ」
メディアは彼のこのジョークを文字通りに受け取り、センセーショナルな見出しで大々的に报じました。
その結果、この突拍子もない話が瞬く間に世界中に広まり、揺るぎない「事実」として定着してしまったのです。
当時のロックミュージシャンのドラッグ問題に対する世間の過剰な関心も、この噂が広まる土壌となりました。
いかにも彼らしい皮肉とユーモアから生まれたこの逸話は、結果的に彼の「不死身の男」「ロックンロールの悪魔」といった超人的なイメージをさらに強固なものにしました。
ある意味、彼自身が意図せずして作り上げてしまった、最高のセルフプロモーションだったのかもしれません。
3-4. 今もタバコを吸っていますか?
ギターのヘッドに挟んだタバコ、そしてその煙をくゆらせる姿は、長年にわたりキース・リチャーズのアイコン的なイメージの一つでした。
彼は筋金入りの愛煙家として知られてきましたが、その長年の習慣にもついに終止符が打たれています。
結論から言うと、彼は2019年の暮れ頃に禁煙に成功したと公言しています。
長年の盟友とも言えるタバコとの別れは、彼自身にとっても想像以上に困難な挑戦だったようです。
2020年に行われた米国のラジオパーソナリティ、ハワード・スターンとのインタビューでは、「やめるのは本当に大変だった」とその苦労を率直に語っています。
そして彼は、その禁煙の難しさを、彼ならではの衝撃的な比較表現で語りました。
「タバコをやめるのは、ヘロインをやめるより難しかったよ」
過去に深刻なヘロイン中毒を克服した壮絶な経験を持つ彼のこの言葉は、非常に重みがあります。
これは、ニコチン依存という習慣を断ち切ることがいかに困難であるかを物語ると同時に、彼の健康に対する意識が大きく変化したことを示す重要な発言と言えるでしょう。
この決断は、80代を迎えてもなおザ・ローリング・ストーンズとして最高のパフォーマンスを続けるための、彼のプロフェッショナルな姿勢の表れでもあるのです。
3-5. 近年の健康状態について
80歳を超えてもなお、アルバムをリリースし、ワールドツアーを敢行するキース・リチャーズ。
その驚異的な生命力とステージでのエネルギッシュな姿から「死なない男」「ロックンロールの奇跡」などと称されますが、彼の近年の健康状態について、世界中のファンが関心を寄せています。
前述の通り、彼は両手指に関節炎を抱えていますが、幸いにも痛みがなく、彼のグルーヴ重視のプレイスタイルに致命的な影響は出ていないようです。
さらに、彼の健康を語る上で大きな転機となったのが、2019年頃の禁煙と、飲酒量を大幅に減らしたことです。
かつてはジャック・ダニエルのボトルがトレードマークでしたが、現在は「たまにワインやビールを少し楽しむ程度」だと語っており、無茶な生活からは完全に卒業しています。
もちろん、年齢相応の身体的な変化はありますが、現在も音楽制作への情熱は衰えることなく、精力的な活動を維持しています。
2023年に18年ぶりのオリジナルアルバムとしてリリースされた『ハックニー・ダイアモンズ』では、彼の切れ味鋭いギターリフは全く錆びついておらず、健在ぶりを世界に示しました。
チャーリー・ワッツの死が与えた影響
2021年にバンドの心臓部であったドラマー、チャーリー・ワッツが亡くなったことは、キースを含む残りのメンバーに大きな衝撃を与えました。この出来事が、彼らの健康に対する意識や、「バンドを続けなければならない」という使命感をより一層強くした可能性は大きいでしょう。彼の今の健康は、亡き友との約束を守るためのものでもあるのかもしれません。
長年にわたる不摂生で破天荒なパブリックイメージとは裏腹に、近年の彼は自身の体と真摯に向き合い、音楽活動を続けるための最大限の努力をしています。
彼のロックンロール人生は、まだまだ終わりそうにありません。
3-6. 総括:キース・リチャーズ ボーカル曲の神髄
この記事では、ギタリストとしてだけでなく、ヴォーカリスト、そして一人の人間としてのキース・リチャーズの多面的な魅力に迫りました。
彼のボーカル曲は、ストーンズの音楽に欠かせない深みと魂を与え、その伝説は今なお世界中の人々を魅了し続けています。
- キースのボーカルは技術的な巧みさではなく感情表現の深さが魅力
- しゃがれた味のある声がストーンズの音楽に奥行きを与えている
- ミック・ジャガーの華やかな声との対比がバンドの個性となっている
- 初めて全編を歌ったのは「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」である
- 最新作「ハックニー・ダイアモンズ」収録の「Tell Me Straight」も必聴
- ボーカル曲で最も有名なのはシングルヒットした「ハッピー」
- 「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」では反骨精神を歌い上げた
- ソロ活動では「Hate It When You Leave」など珠玉の名曲を生んだ
- 音楽的ルーツはチャック・ベリーやマディ・ウォーターズに深く根差す
- 盟友トム・ウェイツとは音楽的に深く共鳴しあう仲である
- 愛用ギターは大胆な改造を施したテレキャスター「ミカウバー」
- スカルリングは彼の死生観や「メメント・モリ」の哲学を象徴する
- 指に関節炎を患っているがギターが弾けなくなったわけではない
- ブートレグ「Stone Alone」では彼の繊細な魂に触れることができる
- 映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に俳優として出演し存在感を示した
- 血液を入れ替えたという有名な噂は本人が否定した都市伝説である
- 2019年頃に長年の習慣だった喫煙をやめていることが公表された


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